読書

2008年7月18日 (金)

「篤姫」好評の理由

Hina_doll_hime 宮尾登美子原作のNHK「篤姫」が最近の大河ドラマの中では好評だ。会長以下低調と予想していたそうだが。好調の理由を私なりに考えてみた。

1。従来も大奥物はあったが、幕末最後に活躍した御台所としての篤姫と、大奥の華やかな女達の衣裳、立ち居振る舞い、言葉遣いなどが受けた。

2。時代劇と言えば定番の斬った張ったのチャンバラ場面が無い。あれは激しいくせに嘘っぽく飽きられた。(多分この先井伊大老の桜田門外の変くらいかと思はれる)

3。家定と篤姫の寝所での語らいが、回を重ねるにつれ二人のお互いへの想いの変化が、原作よりテレビ向き?に丁寧に作られていて成功したと思う。

会長以下秀吉、信長などと違い篤姫など誰も知らないからというのが、期待されなかった理由とあるが、こういうのを見たかったという、人々の心理が見抜けなかった点問題だ。

正直言って馬鹿殿家定が、ここまで感動的に変化するとは思っていなかった。原作では幾島が退き滝山との場面が大きくなるが、テレビではどうなるか。和宮の出てくる今後が楽しみだ。

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2008年5月26日 (月)

篤姫

Book 宮尾登美子「天璋院篤姫」

宮尾登美子の作品は何だか難しそうで、生前読んだ事が無かった。今度NHK大河ドラマで取り上げられた。大河ドラマは"樅の木は残った"や"赤穂浪士"の頃は良く見たが、やたらと切った張ったや大声で怒鳴る場面が多くなり、何時しか遠ざかってしまった。

今回の"篤姫"はそういうのはあまり無く、大奥での女達中心のドラマとして女性に好まれそうな線を行ったのだろうか。久しぶりに見てみたら中々面白く、45分がアッという間で次回が待ち遠しい。

そして原作を見てみようという気になり、買ってきたのを上下各400ページ、痛い目を我慢しながら一気に読んだ。

篤姫は21歳で将軍家定に入輿、僅か1年9ヶ月で家定他界、26歳で16歳の皇室より降嫁した和宮の姑となる。30歳で江戸落城に遭遇、47歳で激動の時代に波乱の人生を閉じた。

原作にはTVのような肝付尚五郎のちの小松帯刀は登場しないし、西郷など薩摩藩士の物語も無い。西郷は入輿調度係と、最後にちょっと出てくるだけだ。

↓天璋院画像 川村清雄筆

080526tensyouin 家定はTVでは馬鹿殿的登場だが、原作では気の小さい家定が将軍職の重圧に耐える様が痛々しく、それに対する篤姫の暖かな対応に涙した。

篤姫が大奥をしっかり掌握して、江戸城明け渡しで右往左往する表の男達との対比はいささか誇張気味だが・・・

生まれ故郷の薩摩藩より落城前に引取りの申し出でに「女が一旦嫁したからには、その嫁ぎ先の家が即ち終焉の地であって、たとえ実家と婚家が戦火を交える如きことに相成ろうとも、この儀は未来永劫変わりませぬ。・・・私がこの大奥を去れば誰があとを守ろうぞ。・・・薩摩が私をたって連れ戻そうとするならば私はこの場において自害する・・・」というくだりではしばし本を置いた。

所詮保守的な女性であって、あまり時代の激動に対する認識は見られなかったとする書評があったが、権力の強い所ほど政略結婚の横行するこの時代、その典型であった篤姫や和宮が政治の情報の少ない大奥で最善を尽くしたと見たい。

男尊女卑の時代にあって、女性の事は歴史資料にもあまり残されていない中、良く調べ上げたと思う。宮尾作品を読んで見たくなった。

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2008年3月27日 (木)

中勘助随筆集

Book 中勘助随筆集

27歳の無名の作家中勘助の「銀の匙」を夏目漱石が激賞して世に送り出したのは有名な話で、私も随分前に読んだが、子供の目で見た詩情溢れる作品に、清々しい感動を覚えた。

随筆集の中で"天の橋立"は「銀の匙」の少年の日に憧れた姉の友との再会と永訣の結末には、人の世の儚さ寂しさが胸に迫って来た。

"漱石先生と私"は学生時代に講義を受けた先生としての漱石と、その後漱石山房に参入するようになり「銀の匙」を推薦して貰う経緯や、漱石の人柄が良く判る。漱石が「僕も変人だけれど中も随分変人だね」と言っていたのは面白い。

今回随筆集を読み、詩や短歌も織り込まれた独特な文章の素晴らしさが味わえた。一般的な随筆と違い日記として書かれ、幼少期の自伝と言える「銀の匙」から80年の生涯が一覧出来るという事で、他の作品も読んでみたいと思った。

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2008年1月19日 (土)

岡本綺堂随筆集

Book 岡本綺堂随筆集 。岡本綺堂というと"半七捕物帳"が有名で、捕物帳の元祖だそうだ。探偵物は洋の東西沢山あり、読み出すときりが無いので最近は全く読まない。

今回綺堂の随筆集を読むと、綺堂はむしろ幼年期より芝居に興味を持ち、劇作家の道に入り捕物帳はその後に作られたそうだ。作者は江戸や明治期の人々や事柄に深い興味を持ち、優しい文章が楽しませてくれた。随筆集のなかで私が感銘を受けたのを二つほど記す。

ランス紀行:第一次世界大戦後のフランスで、戦後の廃墟を巡るという呆れた企画があり、そのツアーに参加した著者が一本の立ち木も無い荒廃した丘に、赤いヒナゲシが人間の争いを知らぬげに一面に咲いているのを目撃、

「・・・責任者はある。しかしながら戦争そのものは自然の勢いである。欧州の大勢が行くべき道を歩んで、ゆくべき所へゆき着いたのである。・・・」と感慨にふける。

温泉雑記:交通不便なこの頃の温泉では永逗留が多く、浴客同士の交流があったが、日帰りも出来る様に便利になってくると、お互いの挨拶も無くなるなど、今のことかと思うが明治時代の話だ。

江戸の風情が残る明治、大正時代の東京の人々の様子が活写され、去年読んだ渡辺京二著「逝きし世の面影」を思い出させた。

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2007年11月 1日 (木)

窓ぎわのトットちゃん

Book 黒柳徹子著  窓ぎわのトットちゃん

1981年に出版され大ベストセラーになった本だが、私は買っておきながら今やっと読んだ。実に26年振りの事だ! 買ってすぐ読んだ本もあれば、この様に長い間寝かしてしまった本もある。いつか読みたいと思いつつ、永久に読まれないだろう本も沢山ある。

それはさて置き、やはりこれは良い本だった。黒柳徹子の幼少時の自伝ではあるが、血の通った学校教育はこういうものだという事を知らされる本だ。

ところでこの本に1981.08.23と記入された、赤茶けた東京新聞の社説の切抜きが挟まれていた。私が切り抜いて挟んでおいたものらしい。"トットちゃんの涙"という題で5段にわたる長文の社説を載せていたのには驚いた。

家では町田にいた時、東京新聞の文芸欄が面白く安いので取っていたが、伊東に来てからは東京新聞は手に入らず、夕刊が無くてこれまた安い産経新聞だ。(以下→ ←間は社説よりの引用)

→少女はこの本をご飯も食べずに一気に2時間半で読み終えたそうです。「で、どうだった?」と聞いたら「こんな校長先生、いまだったら教育委員会が許すはずがない。こんな学校があったなんて、信じられない」←

トモエ学園は1937~1944年という太平洋戦争の最も激しい時期にだけ、短い期間だが存在したユニークな教育方針の学校で、身体の不自由な子や問題児などが多く入って来たらしい。黒柳トットちゃんもその自由奔放な言動が災いして、小学1年にして退学処分!となりここに入る事に・・・

50人足らずの学校だが、素晴らしい教育者である小林校長の下、座席も勉強も自分の好きな所、好きな学科をやっていい。午後は大体散歩。でもそこでは花や虫、お寺を見て生物や歴史の勉強にするという風に、今のサラリーマン目的の詰め込み教育とは正反対のものだった。

しかしあとがきにもあるように、ここを巣立った人達は黒柳始め皆立派な人間に育ったようだ。

→ろうあ学校の女生徒の手話に感じ入り「私も、いつか必ず、みんなと手でお話しする人になる」と心に決める。その決心は実り、いまこの人は手話ができます。またこの本の印税をそっくり、プロの手話劇団づくりに充てようとしている。←

私もバスの中で、2~3人の男女の子の手話を見た事があるが、笑いながら交わす静かなる会話に、惚れ惚れと惹かれるものがあったのを何時までも覚えている。

→いま教育問題は、規則だとか制度とかは大問題になるが、心のふれ合いとか、親・子・先生の信頼などがわきに押しやられています。非行や子供の暴力問題は、対策の段階ではもう遅い。情緒、信頼、人間性・・・それらが失われたから発生したのでしょう。←

このころより20数年たった現状ではもっとひどい事になっているのは、毎日の心痛むニュースの数々で感じる通りだ。日本は教育に力を入れて来たので今日の発展が有るのだが、それによる歪みもまた大きい。トモエ学園について今度知った事は、みな教育について考えるべき大切な原点と思った。

この本は単にトットちゃんの奇矯な言動を記したものではなく、愛のある教育についての思いを綴った一書である。いわさきちひろの挿絵とそれにまつわる話も素晴らしい。

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2007年8月28日 (火)

真珠夫人と白蓮れんれん

Book 去年菊池寛の「真珠夫人」を読んだ。576pを一気に読ませ最後は涙々。中々良く出来た大衆小説だった。そして今度林真理子の「白蓮れんれん」を読む。この本を買うに到った動機は忘れたが、何でもネットで色々購入する本を検討しているうちに出て来て、この本も買っておこうとなった気がする。

読んでいるうちなんだか何処かで、似た内容の本を読んだ覚えがあるなと思ったら、それが真珠夫人だった。男爵の娘が子爵の息子との潔い交際。そこへ現れた成金に借金と名誉のため嫁ぐ事に。一方白蓮は大正天皇の姪である華族の白蓮がやはり成金に嫁ぎ、どちらも波乱万丈の成り行きとなる。

菊池寛は白蓮の事を"筑紫の女王柳原白蓮"として連載した新聞記事等に、ヒントを得て真珠夫人を作ったらしく、真珠夫人の連載は大正9年、有名な白蓮事件は10年に発生する。白蓮れんれんは、共に逃げた青年の実家が門外不出の書簡700余を著者に提供、伝記文学の傑作だ。心理描写が素晴らしい。

短歌に関心がある私としては、佐々木幸綱の祖父である佐々木信綱の門下に白蓮が入ったことが、事件の大きな切っ掛けになったので興味深かった。白蓮辞世の歌

そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちにみつ

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2007年6月18日 (月)

チベット旅行記抄

Book_3 河口慧海著 チベット旅行記抄

いざ行かんヒマラヤの雪ふみわけて法(ノリ)の道とく国のボーダ(チベット)に

1899年、仏教の原典を求め鎖国のチベットに単身潜入した、黄檗宗の禅僧の記録。

関所を避けるため大きく迂回するコースを選ぶが、それは雪と岩のヒマラヤを越え困難を極め、よく死ななかったという事態が次々に現れる。

でも最悪の時に幾度も座禅を組み観想して決定してゆくのはいかにもお坊さんらしい。僧侶であるため宿泊やお布施等、一般人より容易だった面もある。

あまりにも有り得ない様々な場面が多いので、行った事は認めても内容を疑問視されたが、死者の鳥葬等後の人により確かめられ、ようやく評価されるようになる。

日本人であることがバレそうになり、係った人々に累が及ぶのを恐れ、私を突き出してくれと頼むが、そんな事は出来ないと言われ已む無く脱出。

しかしその人々が捕らえられ、色々運動するが結局説得され帰国。この辺の事情は一寸首をかしげるが、兎に角仏典持ち帰りを優先させたのだろう。

慧海の単なる冒険ではない、仏教信者としてのひたむきな様には心を打たれる。

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2007年3月13日 (火)

「逝きし世の面影」を読んで

Book 日本が近代化につれ失つた、明治末年以前の文明に、幕末、明治の主に来日外人の見聞録をもとに考察した渡辺京二の逝きし世の面影600ページの労作を読了した。

読んでいて、今はすっかり失はれてしまった色々な良き事についての驚きがあったのだが、今でも充分日本人の中に生きているなと思った事柄がある。火事で焼け出されても悲嘆に暮れることなく、沈着で直ちに再建に掛かる様は外人には驚きだったらしい。

今でも地震、風水害の時などに外国では呆然として手が付かなかった時に示される助け合いと、復興の早さ。どさくさに略奪が多いのにそれも殆ど見られない。救援物資に強いものが我先の光景も見られない。

神戸の大震災の時は炊き出しが直ぐ行はれ、これを見た韓国の人達がその後真似をしたそうだ。日本人の立ち直りの速さ、また普段付き合いなど無くても、非常の時はお互い助け合うのも誇っていい。

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