大連の思い出

2023年4月13日 (木)

ナガミヒナゲシ

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長実雛罌粟。伊東線々路縁にて。

Rocket_20230413154801 黄砂、気象観測図だと伊東もだが、殆ど大丈夫だった。東京は結構霞んでいる。大連は昼猶暗いだから違いは判ろう。

北海道、外出避ける様と。大分酷い様だ。其処へ持って来て、Jアラートと来た。今度は堅牢な建物へ、無ければ窓から離れてと。

結局、追跡が上手くいかなかったかで、初の北海道落下かもとなった訳だ。厳重抗議だが屁の河童だ。

御陰でNHKは1時間もJアラート番組と成り、立憲安住国対委員長が、NHKの連ドラを見られなかったとぼやいている。テレビ東京の韓ドラは20分切れで始まったが。

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2023年4月12日 (水)

ツキヌキニンドウ

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突抜忍冬。(06.04)

Mask_human_20230412100001  今日は、中国の砂漠から黄砂が飛来と。朝鮮と日本迄が影響を受ける砂嵐。北日本が濃いと。今年は特に凄い予想。

私は大連生まれなので、何度か経験してるが、兎に角昼猶暗く成り、皆閉め切って家に籠る。

ピッタリ閉めているのに砂が入って来て、綺麗好きの母が一日中拭き回っていた。

Waribashi  又、焼き肉店で、楊枝を使っては、元に戻してるのを見付かり、逮捕されたと。懲りない面々だ。

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2023年4月 5日 (水)

ダイコンにニホンミツバチ

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大根に日本蜜蜂。「里山を歩こう」さんより。(23.03.26)

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クラレに依る、今年入学1年生に憧れの職業アンケートだ。警察官、消防レスキュー隊、医師、看護師等が多い。

私だが、戦争中の事とて、想像が付こう。皇国の訓導たる怖い先生が或る日、組の皆に端から将来何に成るかを言わせた。

陸軍大将、海軍大将、飛行兵等々、軍人ばかりだった。後数人と言う時、何時も皆に揶揄われている精薄の子の番に成る。

其の子が何と言ったか。「僕はこんな頭なので、田舎で百姓でも遣ります」と。

皆シュンとなり、先生も「百姓も居なければなあ」とか言った気がする。未だに忘れられない思い出だ。

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2023年3月19日 (日)

レンギョウ

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ハイブリッド連翹:ニンバス。

Rikishi_shikiri_20230319094201 昨日の相撲、思はず拍手。大兵高安との全勝同士の対決。小兵翠富士負けても仕方ないかと思ってたら、何と堂々の勝ち。

翔猿に似た取り口だが、身体が小さくはらはらしてたが、本人はやる気満々。幕内全勝唯一人とは成った。

静岡から初の優勝力士も夢ではない、上位陣不調がチャンスか。

私は相撲其れ程熱心でも無いので、東京に居ても、見に行った事は無い。

戦前、大連だったが、巡業が来た。一家で見に行ったが、席から遠くて何も覚えて無い。

矢鱈熱く、酸素放出とかでシューツと言う音がするが、一向涼しく成らず参った。

でも双葉山が出ると、皆と一緒に双葉山!と叫んだのは覚えている。

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2023年3月10日 (金)

カントウタンポポ

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関東蒲公英。セイヨウタンポポが席倦して貴重。花の下の総苞片がセイヨウの様に反り返らない。(08.03.27)

Scopp_20230310094101 防空壕だが今ウクライナで、頑丈な地下室に逃げ込んでいるのを見ると、戦時中を振返って一寸羨ましいと言ったら叱られるかも。

あれは積極的防火活動、平たく言えば消火だ。其の前の待機所だと。(東京新聞、大日本防空協会)

東京下町では、海抜が低い為、地下水で掘れなかったと。

私の住んで居た中国、大連でも各所に隣組総動員で作られた。

B29が来た時は超低空で、近くの山の上から高射砲が激しく撃たれたが、一発も命中せず、優秀な射撃手は南方戦線に取られたから等と言っていた。

私は窓からうっとりと、素晴らしいその巨体に見惚れていて、何してるの早くと叱られた。

其の防空壕も雨であっけなく崩れ、当時父は奥地に単身赴任、兄は出征で組の人達が再建して呉れた。

出来上がって1週間位で敗戦となる。泡沫の如き思出とはなった。

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2023年2月21日 (火)

スイセン

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水仙:テターテート。(17.02.24)

Book_20230221095801 乃南アサ「最後の花束」を読んだ。11の短篇集だが、中でも冒頭の「くらわんか」が良かった。

大阪に転勤した男を追っかけて来た女の物語だが。

文中に出て来る「京阪電車」だが、京阪電鉄の事だ。大阪~京都だが、「おけいはん」と言い親しまれていると。其れは知らなかった。

私は中1で中国、大連から引揚と成ったが、母と姉と私は、京都の親戚に1年ばかり居候させて貰った。

兎に角皆働かねばで、母は府庁、姉は進駐軍の食堂ウエイトレス。そして私は鉄工所の雑役となる。

雑役と言っても、工場の中の事は遣らず、暇な身分だった。自転車に乗れるようになり、郊外の鉄工所から市内の事務所に書類を持って行ったり程度だった。

Train_20230221103001 大阪の得意先?だったかに行かされた事が有り、其れが京阪電鉄を利用した最初で最後だった。

何でも、川でエレベーターから降り、下を歩き又登った。あれは淀川だろうか。今はあんなのは無いと思うが。相手の会社の記憶は丸で無い。

京都は「どすえ」とおっとりだが、大阪は「ドッセー」と同じ関西でも違うなと言う印象を持った。

(追記)今調べてみたら、安治川トンネルらしいと判った。安治川の底を通るもので、珍しいとあるので此れだろう。健在と! 1944年、日本初の河底トンネルと。

淀川支流だが、元此れが本流と。嗚呼ややこしどす。

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2023年1月 7日 (土)

メジロ

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目白。「里山を歩こう」さん(21.01.08)より。

Ear_2_20230107160401 今日は、歯科→整形外科→銀行→スーパー。補聴器不良、メーカーに送るのに、切手の値段判らず、駅前〒局へ。今日は休みだった。少し多目の切手でポストに入れるんだった。

Daikon 今日は七草、帰ってから気が付く。スーパーで売ってた筈。

Junior_school_boy 保育師、看護師等の不足が言われているが、養護教諭も不足だ相だ。

私は中国の大連生まれだが、小学校(戦時に成っては国民学校)1~3年は養護学級で過ごした。何でも病身でも無いのに、員数を満たす為、細身のか弱そうな私の様な子も入れたらしい。

女の先生で優しく、家に皆で招かれ、ピアノを弾いたりしたのを朧げに覚えている。

年に成って戦争突入、皇国の訓導と言う怖い先生に成り、授業も碌にせず、戦争の話ばかりと成った。

1~3年で基礎的な事教わったので良かったが、後半は手榴弾投げ訓練、飛行場で弾運び等、大変な小学時代だった。

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2022年12月25日 (日)

メジロ

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目白。「里山を歩こう」さんより。

Plane_fighter ウクライナだが、小学校で給食中、空襲警報が鳴り途中で地下に退避する場面が有った。胸を突かれる。

唯、頑丈な地下で、我等の戦時中とは違って、羨ましいと言ったら変だが。

当時大連だったが、土を掘って板を渡し土を掛けた丈の物で、B29が市中に爆弾投下の時入った。

其の後雨で崩れ、父は満鉄社員で奥地に長期出張中とて、隣組が作り直して呉れた。敗戦1週間前の話だ。

父はシベリアに、兄は内地に学徒入営、母と母方の祖父母、姉、私、そして入隊後病気で陸軍病院にいた祖母の甥が頼って来て、翌年6名引揚となった次第。

ウクライナだが、最大支援国のポーランドも大変らしい。日本は欧米のように武器供与はしないが、もっとウクライナ、周辺国へ強力な支援が必要ではないか。

寒い冬ローソクで耐えている人達に、衣類など日用品、発電機等・・・。国境なき医師団、ウクライナ緊急支援に参加した。

(追記)政府は発電機3、暖房機6をキーウ近郊のブチャに提供と。

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2022年11月23日 (水)

キズタ

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木蔦。(冬蔦)ツタ=夏蔦。来た頃に較べ擁壁を覆って太くなった。親類が来て記念写真を撮った頃は何も無かったのだが・・・。今頃咲くので、小さい蜂が来る。

Faucet 中国の大連に住んで居た頃は、蝿に悩まされたが、此方は少なくて助かる。でも不思議なのは、生ゴミバケツを庭の水場で洗った後、干して置くと金蝿が来る。普段見掛けないのだが。

Kaeru_rain 今日は雨だ。庭や周辺の手入れをしなければならないのだが、思うに任せない。スイフヨウだが、一頻り咲いた後、時期過ぎたか多くの蕾が開かずに残っている。こんな事は初めてだ。

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2022年5月 7日 (土)

ウクライナにソ連進駐を想う

ウクライナでロシヤ軍が、穀物等大量に自国に運んでいるらしい。略奪も起きていると。此処に07.05.20の大連の思い出を再掲する。

「ソ連軍進駐Tank_4間もなくアメリカの艦載機グラマンが、100機ばかり来て上空を乱舞、日本が敗けた事を実感した。1945.08.09ソ連が日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻した。満州里では父も軍人軍属でもないのに、バイカル湖方面に抑留された。

(満鉄軍属とは陸海軍の指揮監督により軍務に従事した南満州鉄道(株)等の国策会社の職員等とあるが、父は病院の事務と聞いていたが軍務に従事していたかどうかは定かではない。)

ソ連軍は08.22。つまり"敗戦の詔勅"から1週間後には大連に到達した。戦車の轟音が市中に響き渡り、我が家の前も走って行く。初めて見る戦車とはこんなに速いものか。そして曲がる時は片側のキャタピラを止めて、反対側を動かし直角に曲がる事を知る。アスファルト舗装の大連の道路は忽ち滅茶苦茶になった。

ソ連兵の略奪には2回遭った。1回目は昼間で、次々と家を回って来るのが判り、母と姉は床下に隠れ祖母と私だけが居た。祖母に自動小銃を突きつけ何か叫ぶが判らない。女を出せと言っているらしいが、手を振ると引き揚げていった。その後数軒先の家で銃声がした。床下に隠れていたそのすぐ隣に打ち込まれたそうだ。

2回目は夜で、開けろと怒鳴っているらしい。その内片っ端からガラスを叩き割りだし、祖母が慌てて開けると雪崩れ込んで来た。この時は時計等を盗られた。アメリカ、ソ連、中共、国民政府と入り乱れての時期で、特にソ連兵の女性への暴行は中国人にも及び評判が悪く、ヤマノフ少将からコズロフ中将に換えられて"略奪者は死刑に処す"の布告が出てからやっと収まった。

市役所の半地下の窓から捕まった兵隊がこちらを見て不敵に笑っていたのを覚えている。シベリヤ送りの囚人兵が多かったと言う。軍自体もドサクサ紛れに日本の会社などの設備、製品を片っ端から持ち出して本国へ送り、中国の対ソ悪感情の元にもなった。

しかし隊伍を組んで行進するソ連兵の歌声は、かつての日本兵がありったけの大声で怒鳴るのと違い、2重唱の実に素晴らしい合唱だった。日本に帰ってから来日したドンコサック合唱団を聞いたが、一般人である彼等が負けない位上手いものだったと今でも思う。

我が家の玄関先で休憩して歌っていた。そこに学校から帰って来た私が恐る恐る入ろうとすると、座っていた兵隊が道を開けてくれた事があった。少年のような丸刈りの囚人兵も混じっていた。」

当時も、関東軍倉庫から一切合切持ち去ったと。今のロシヤ兵も同じと思った。

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