大連の思い出

2023年1月 7日 (土)

メジロ

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目白。「里山を歩こう」さん(21.01.08)より。

Ear_2_20230107160401 今日は、歯科→整形外科→銀行→スーパー。補聴器不良、メーカーに送るのに、切手の値段判らず、駅前〒局へ。今日は休みだった。少し多目の切手でポストに入れるんだった。

Daikon 今日は七草、帰ってから気が付く。スーパーで売ってた筈。

Junior_school_boy 保育師、看護師等の不足が言われているが、養護教諭も不足だ相だ。

私は中国の大連生まれだが、小学校(戦時に成っては国民学校)1~3年は養護学級で過ごした。何でも病身でも無いのに、員数を満たす為、細身のか弱そうな私の様な子も入れたらしい。

女の先生で優しく、家に皆で招かれ、ピアノを弾いたりしたのを朧げに覚えている。

年に成って戦争突入、皇国の訓導と言う怖い先生に成り、授業も碌にせず、戦争の話ばかりと成った。

1~3年で基礎的な事教わったので良かったが、後半は手榴弾投げ訓練、飛行場で弾運び等、大変な小学時代だった。

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2022年12月25日 (日)

メジロ

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目白。「里山を歩こう」さんより。

Plane_fighter ウクライナだが、小学校で給食中、空襲警報が鳴り途中で地下に退避する場面が有った。胸を突かれる。

唯、頑丈な地下で、我等の戦時中とは違って、羨ましいと言ったら変だが。

当時大連だったが、土を掘って板を渡し土を掛けた丈の物で、B29が市中に爆弾投下の時入った。

其の後雨で崩れ、父は満鉄社員で奥地に長期出張中とて、隣組が作り直して呉れた。敗戦1週間前の話だ。

父はシベリアに、兄は内地に学徒入営、母と母方の祖父母、姉、私、そして入隊後病気で陸軍病院にいた祖母の甥が頼って来て、翌年6名引揚となった次第。

ウクライナだが、最大支援国のポーランドも大変らしい。日本は欧米のように武器供与はしないが、もっとウクライナ、周辺国へ強力な支援が必要ではないか。

寒い冬ローソクで耐えている人達に、衣類など日用品、発電機等・・・。国境なき医師団、ウクライナ緊急支援に参加した。

(追記)政府は発電機3、暖房機6をキーウ近郊のブチャに提供と。

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2022年11月23日 (水)

キズタ

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木蔦。(冬蔦)ツタ=夏蔦。来た頃に較べ擁壁を覆って太くなった。親類が来て記念写真を撮った頃は何も無かったのだが・・・。今頃咲くので、小さい蜂が来る。

Faucet 中国の大連に住んで居た頃は、蝿に悩まされたが、此方は少なくて助かる。でも不思議なのは、生ゴミバケツを庭の水場で洗った後、干して置くと金蝿が来る。普段見掛けないのだが。

Kaeru_rain 今日は雨だ。庭や周辺の手入れをしなければならないのだが、思うに任せない。スイフヨウだが、一頻り咲いた後、時期過ぎたか多くの蕾が開かずに残っている。こんな事は初めてだ。

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2022年5月 7日 (土)

ウクライナにソ連進駐を想う

ウクライナでロシヤ軍が、穀物等大量に自国に運んでいるらしい。略奪も起きていると。此処に07.05.20の大連の思い出を再掲する。

「ソ連軍進駐Tank_4間もなくアメリカの艦載機グラマンが、100機ばかり来て上空を乱舞、日本が敗けた事を実感した。1945.08.09ソ連が日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻した。満州里では父も軍人軍属でもないのに、バイカル湖方面に抑留された。

(満鉄軍属とは陸海軍の指揮監督により軍務に従事した南満州鉄道(株)等の国策会社の職員等とあるが、父は病院の事務と聞いていたが軍務に従事していたかどうかは定かではない。)

ソ連軍は08.22。つまり"敗戦の詔勅"から1週間後には大連に到達した。戦車の轟音が市中に響き渡り、我が家の前も走って行く。初めて見る戦車とはこんなに速いものか。そして曲がる時は片側のキャタピラを止めて、反対側を動かし直角に曲がる事を知る。アスファルト舗装の大連の道路は忽ち滅茶苦茶になった。

ソ連兵の略奪には2回遭った。1回目は昼間で、次々と家を回って来るのが判り、母と姉は床下に隠れ祖母と私だけが居た。祖母に自動小銃を突きつけ何か叫ぶが判らない。女を出せと言っているらしいが、手を振ると引き揚げていった。その後数軒先の家で銃声がした。床下に隠れていたそのすぐ隣に打ち込まれたそうだ。

2回目は夜で、開けろと怒鳴っているらしい。その内片っ端からガラスを叩き割りだし、祖母が慌てて開けると雪崩れ込んで来た。この時は時計等を盗られた。アメリカ、ソ連、中共、国民政府と入り乱れての時期で、特にソ連兵の女性への暴行は中国人にも及び評判が悪く、ヤマノフ少将からコズロフ中将に換えられて"略奪者は死刑に処す"の布告が出てからやっと収まった。

市役所の半地下の窓から捕まった兵隊がこちらを見て不敵に笑っていたのを覚えている。シベリヤ送りの囚人兵が多かったと言う。軍自体もドサクサ紛れに日本の会社などの設備、製品を片っ端から持ち出して本国へ送り、中国の対ソ悪感情の元にもなった。

しかし隊伍を組んで行進するソ連兵の歌声は、かつての日本兵がありったけの大声で怒鳴るのと違い、2重唱の実に素晴らしい合唱だった。日本に帰ってから来日したドンコサック合唱団を聞いたが、一般人である彼等が負けない位上手いものだったと今でも思う。

我が家の玄関先で休憩して歌っていた。そこに学校から帰って来た私が恐る恐る入ろうとすると、座っていた兵隊が道を開けてくれた事があった。少年のような丸刈りの囚人兵も混じっていた。」

当時も、関東軍倉庫から一切合切持ち去ったと。今のロシヤ兵も同じと思った。

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2021年8月21日 (土)

バナナ

Banana 米、ティッシュ、トイレット・ペーパー、酒、ビール、牛乳等嵩張る物、重い物等、COOPから取っている。

梨だが、幸水大玉2ヶを取ったら、不味く辟易した。朝起きて暫くは脚が痛く、2ヶ共酷い時食べたが。

バナナを取るが、フイリッピンや中南米の物。台湾バナナが出たので懐かしく取った。小振りだが甘みが良い感じだ。最近出ない。

台湾バナナと言うと、戦前の中国、大連で暮らしていた時を思い出す。父は奥地に出張で、年2回位帰って来る。

祖父母、母、兄、姉、弟の私計6人。兄は秀才と言われ、常に級のトップ。先生に勧められ、岡山6高→東京帝大となったが学徒入営で敗戦。

その兄が居た頃、頭が禿げて仕舞い、包帯だった。勉強のし過ぎとか、後で治ったが。その兄が2階で猛勉強の時、台湾バナナが入った。当時バナナや卵は貴重品。

兄の分が無かったか、覚えて無いが、禿頭に良くないとかで、こっそりという事で、台湾カブツを食べましょうと。各自1本だから、さっさと食べて仕舞えばいいものを、母がそう言っていたのを覚えている。

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2021年7月 1日 (木)

バム鉄道

Joseph_stalin_2 シベリア鉄道と並行する、第2シベリア鉄道とも言われる、バイカル~アムール鉄道(バム鉄道)。その複線化に新コロで労働者不足の為、ハバロフスク辺りの受刑者を従事させると。

スターリン時代の、第二次世界大戦終了時の、シベリア鉄道を想起させるとの報道だ。

あの時は囚人だけで足りず、満洲(中国東北部)から関東軍等の捕虜が60万人送り込まれ、6万人以上が亡くなっている。

私は大連で敗戦を迎えたが、進駐したソ連軍には囚人や、少年兵が多かった。我家の前で休憩する彼等の歌うのが、ドンコサック合唱団みたいだというのは言い過ぎだろうが、兎に角がなり立てるだけの関東軍とまるで違ったのを感じた。

関東軍倉庫から物資を一切合切持ち去ったと。大戦の犠牲はソ連が一番多く、重労働にも女性が従事したらしい。

父だが当時満鉄社員として、ソ満国境の満洲里(マンチュリー)におり、軍属だったがシベリア送りとなった訳だ。

我々が引き揚げて2年後位だったか、帰って来られたのだが、元々口数の少ない父だったし、収容所の事は一切聞かず仕舞いで終わった。アムゼルカと言い、何でもバイカル湖辺と聞いた気がして探すが見当たらない。狭霧の彼方である。

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2021年6月 8日 (火)

戦犯散骨

Dmacarther 太平洋戦争敗戦後、極東国際軍事裁判で、東条英機首相等、いわゆるA級戦犯7人だが、その遺骨の始末が判り、昨日報道された。

遺族は火葬の際、皆一緒くたに捨てられたと思っていたらしい。私達も不思議とその行方等に関心を払っていなかった。

アメリカから資料が入手され、現場責任者の少佐が、火葬後横浜より軍用機で、太平洋上空に散骨。神格化を恐れたか、詳しい位置は不明と。

遺族は「どこかに廃棄されるより、自然に還されたのはましだ」と語っている。散骨と言うと今でこそ話題だが、それが当時の事なので驚きだ。

私の思い出だが、小学校(当時の国民学校)で敗戦、中学1年で中国東北(当時の満洲)大連より引揚、入営で敗戦を迎え命拾いをした兄が、東大(当時の東京帝大)から印刷局へ入ったので、小田原は鴨宮にある印刷局工場の寮に入った。

母がリュックを背負い、山北の農家に買い出しに行ったりしていた。満鉄社員で満洲里からシベリヤ送りとなった父もやがて帰って来た。

ペラペラの寮とて、押し入れに入ると隣の声が丸聞え。我々の部屋にラジオは未だ無く、隣から聞こえてくるラジオを母と姉と3人で聞くのが楽しみだった。

軍事裁判は良く覚えている。デス、バイ、ハンギングと言うのを知った。7回言った訳だろう。

東條は、ヒットラーと違い、トツトツとした面白味の無い話し方だった。大将やその奥様などが自決する中、彼は失敗する(娘婿は自決)。拳銃が心臓を逸れたらしい。狭霧の彼方の事とはなった。

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2015年9月14日 (月)

スポーツあれこれ

Beach_parasol_3私は大連で生まれたが、小学生のころ、それまで何回か夏家河子、星が浦、老虎灘などの海水浴場に学校から行ったが、最後の老虎灘で初めて1~2m泳げとても嬉しくなった。

ところがその直後、沖合で轟音と共に高く水柱が立ち、大きな商船が湾内に避難して来た。潜水艦に駆逐艦が爆雷を投下したそうで、水泳は直ちに中止、太平洋戦争の開戦直前か直後だったろうか定かでない。

それから帰国後も食うことに一家必死で、余裕が出来たころはすっかり成人、何となしに水泳はやらず今日に至った。折角伊豆の海に来たのに、残念な気持ちもあるがもはや手遅れ。

終戦後中学1年に入学、半月余で引揚となったのだが、その中学でのこと。野球部?で人が足りず、急遽お前入れということでバッターボックスに立ったが、猛烈なスピードの球に竦んで打つどころでなく、直ぐ外されてしまった。

以来野球は今日に至るまで大嫌いになり、王や長嶋、野村監督など人柄は面白く好きだが、野球は一切見ない。

植物好きだったので、42歳から山歩きを始め、約20年、5千キロを歩いた。ホームページ 青山白雲では「気軽に始めた山登りだったが、そのうち山狂気となり、ピークハンター気味となるが、沢屋、岩屋を避け、尾根屋、藪屋を好み、偶に家族と以外単独行を通した」とある。

伊東に来て伊豆の山々を少し登ったが、ナンバー2の万二郎岳は登ったが、最高峰の万三郎岳は未登。82歳ともなると去年からガクンと来て体力的にもう無理かも。せめて西伊豆、南伊豆遊歩道をと思っている。

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2015年5月23日 (土)

敗戦間近の思い出

Airplane22日の東京新聞で、2500万人知らぬ間に義勇隊の記事。敗戦も近いころ、破れかぶれの状態になった政府、軍が賭けた総動員の記事で、モンペの婦人たちが砂浜で竹槍訓練をする様子の写真も載っている。誰もこんなものでと思いつつ、やるしかなかった、哀れなわが日本のその頃の状況だった。

広島では4千人余の人々が他所より入り、延焼を防ぐための建物疎開と称しぶっ壊す作業中、あの弾が落下亡くなったと知る。今になって聞くとなんと愚かな事となるが、当時は皆真剣に毎日、ひたすら戦争のために出来ることをと必死だったと思う。

当時私は大連で小学校(戦時中は国民学校)5年生位だったと思うが、授業そっちのけでお手玉で手榴弾の投擲、モールスや手旗信号の訓練などを連日やっていた。

飛行機は教室に張られた写真を見乍ら、名前と音を拡声器が流す。なんとスマートな敵機よ、それに比べダサイ友軍機と正直心中思った。

周水子飛行場に行き、弾運びをしたが、皆で話しながら作業中、突然現れた将校に「貴様等たるんどる!」の大音声に、縮上がったのが強烈に記憶されている。

飛行機の音は色々聞かされた訳だが、実際やって来たのはB29。ウォーン、ウォーンと不気味で、翌日の新聞にウン、ウンとあり、一寸違うなと思った。

そして敗戦、茫然自失の状態となったが、やがてアメリカの艦載機が見た事も無い大量に低空飛行。一週間という猛烈な速度で到達した、ソ連軍の戦車の轟音が市内に響き渡り、あゝ負けてしまったのだと実感した。

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2015年3月16日 (月)

阿川弘之自選紀行集

Book阿川弘之自選紀行集

14日、北陸新幹線が金沢まで開通、引換えのように札幌迄の寝台特急北斗星が廃止され、最後を見んものと3千人もの鉄道ファンが上野駅に詰掛けたとか。

私は鉄道ファンでは無いし、山以外特に旅行好きでも無かった。暇の出来た今は体力的に無理となり残念だ。代わりに峠、街道など紀行本を集め、順次読もうかと思っている。

内田百閒の阿呆列車物は国内だが、阿川弘之の南蛮阿呆列車から読みだしたのだが、中々の鉄道ファンで面白く読める。宮脇俊三のも大分集めた。

この自選紀行集は船と鉄道で「北斗一号試乗記」は正しく今回廃止されたものであり、阿川さんの感慨如何許りであろうか。新幹線に地元も旅行者も熱い眼差しだが、寝台車を次々廃止するスピ-ド優先の風潮は阿川さん好みではないだろう。

大連生まれの私が興味深かったのは「なつかしの大連航路」だ。遠藤周作と行っている。遠藤さんと阿川さんの姉の家が私の家の近くだったとは・・・。未だ文革が終わった辺りらしく、高層ビル乱立の前だが、みすぼらしい街の有様に2人とも幻滅したようだ。(坂の向こう辺りがその隣町

しかし今行ったらもっとガッカリだろう。同じ町内だったらしい清岡卓行は「アカシヤの大連」でそれを予想したかのようなことを書いている。私の家もマンションになったようだ。(参照) ★★★★★

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