感想あれこれ

2019年3月 9日 (土)

ウメとメジロ

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里山を歩こうさんより。白梅と目白。

大体整形外科に通い、牽引とウォーターベッドをやっているが、1ヶ月置きには点滴を1週間1回。骨を強くする薬を4週間おきに飲む。これは朝飲んで、30分横になってはいけないと。

これに加え肢が痛くなったので、1週間置きに両脛に注射、カルシュウム補給と吸収の薬を毎朝飲む。

内科では心房細動に血液サラサラと、血管拡張の薬。胃の具合がと言ったら胃酸抑制の薬を。薬と注射漬けの日々だ。

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2019年3月 4日 (月)

マテバシイ

中古住宅の我が家には、傾斜地に買った当時から2本のマテバシイ(馬刀椎)が生えていた。西側のはほぼ丸坊主にされていたが、年々成長凄く、最近は伐採諦めだ。

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東側のは階段に張り出しており、これは4年前撮ったものだが、今は反対側の家の柿の木に被さらんばかりとなった。

東電が来て架線に接触するので伐らせてくれとの事だったが、上の方を少しだけだ。毎年1~2m伸び、伐っていたが、歳なので手に負えなくなった。

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丁度、下の最近入った別荘の手入れに来ていた業者に依頼、1日でこのように。4万だった。暑い季節登る時、ヒンヤリして一休み。助かっていたが仕方なかろう。直ぐまた伸びる事だし。

洗濯機も、家内の居た時分から不調で買い替えを言われていたが、騙し騙し。しかしここへ来て一向に済まなくなり、音を上げ電気屋に。今度は1人なので小さいのにした。これも4万5千。調べたら町田で買い、20年経っていた。ドラム等がヘタったのだろうと。

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2019年3月 1日 (金)

尾畑さん、徒歩旅断念

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東京から大分の住居に徒歩で帰るため、東海道を南下中の尾畑さんが、浜松で打ち切り親族の車で帰った。リヤカーが載る車だったらしい。

最初の中は人も少なく、飴玉を差し出す少女のシーンなど実に微笑ましかった。急な長い登坂では、待ち構えていた人々が手伝う場面も。

しかし段々人数が増え、交通事故を心配しての上の断念となった。そこは側道らしく車も少ないのだが、駆け付けたらしい人々の車らしいのも2~3あり、もっともだと思った。

テレビで中継したのでは当然予想される事態であり、コメンテーターも終わってから出す事は出来なかったかと言っていたが、それではあの人気も出まい。

NHKの大河ドラマが一向振るわないが、ポツンと一軒家は堂々と視聴率上位に入って来た。大量の人と時間と費用をかけた大河に対し、一軒家はレポーターとカメラマン二人の番組だが、人々の求めているものがそこにあるからと思われる。

今回は尾畑さんの素直で丁寧な人柄が更によくわかり、私は良かったと思っている。

なお大河ドラマの話をしていて、亡き家内が虎劇場ねと言って、暫く何の事だか分らず、その後気が付き大笑い、後々我が家の語り草となったのも、今は哀しい思い出だ。

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2019年2月13日 (水)

虐待と保護

ラブラドールレトリバーの老犬を蹴るおばはんが、ネットにアップされ、これを見た広島の愛護団体の代表が地図アプリ等で特定、京都の現場に5時間かけて車で駆け付け、警察も出る騒ぎとなり、無事保護した。

本人は躾と言っている。テレビのコメンテーターは、動物は物扱いだから、返せと言われたら返さざるを得ないと。そんな馬鹿な。今はレイと名付けられ、大分落ち着いていると。

保護団体でレイ↓

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千葉では、父親に冷水を顔面に掛け続けられて死亡した心愛(ミア)さん。これも躾と言っている。こういう事件を根絶するのは不可能なのだろうか。

学校、教委、児相、警察、動物愛護団体と色々あるが、やはり近所の人達ではないか。歯痒い。

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2019年2月 4日 (月)

アロエ

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写真をクリックすると拡大

13.02.05しおさい公園にて撮影の物。

整形とスーパーに行く位で、運動不足を補うため、アルインコ社製の室内自転車をアマゾンで買う。¥10990。

負荷一番軽いウォームアップ用1~3の中1から始めたが、10km位30分で出来る。ほんとかな。駅まで1.7kmを3回位休み々歩く身としては。兎に角調子は良い様だ。

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2019年1月29日 (火)

ネガティブ・ケイパビリティ

Book帚木蓬生著「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)

家内が去年の暮れ亡くなり、突然受けた心の痛み、少しは和らいだかに思われるが、未だ何かにつけ思い出しては涙の滲む毎日だ。

「山の中の一軒家」のテレビ番組が好評で、私も欠かさず見ている。行くと見ているよと言う人が多い。昨日のは奥様が信仰する或る宗派の別院が山中に建てられ、それを任された。御主人も感化され僧侶となる。しかし奥様が亡くなり御主人が後を継ぐ事となる。

それから大分経つらしいのに、思い出して涙され話が進まなくなる場面もあり、貰い泣きした。しかしお坊さんでさえそれなのだからと、私も少し慰められた。

ところで精神科医の帚木蓬生は、隅々まで行き届いた小説で素晴らしく、随分読んできたが、本書は医学啓蒙書に入るのだろう。

世の中は受験に象徴される様に、結果を如何に早く出すかという事で全て進行しており、これはポジティブ・ケイパビリティであると。医者の治療も例外ではない。治せないとなると困ってしまう訳だ。

これに反してネガティブ・ケイパビリティとは、どうしようもない事に直面した時、答えを出そうとせず、その状態に耐えて行けば、やがて何とかなるというものだ。

今の社会特に医療の現場では、治療により治すことに全力が注がれているが、治せそうもない時の患者や家族への対応はどうか。

家内の場合も色々手を尽くしたが、所詮治らない状況になったと見られ、先生方もそれなりにやって下さったと思うが、残された私としては、未だショックから回復出来ていない。しかし本書を読んで幾らか気持ちが収まった気がする。 ★5

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2019年1月21日 (月)

大島の自然葬

Sakura自然葬の墓地を探しているが、南伊豆のそれを見学して、住職の丁重な説明を受け、それなりのやり方にはほぼ同感だった。ただ経営的には将来に不安な要素が見られ、一寸考えた。

そこで海を渡るので敬遠していた、大島の自然墓苑のホームページを見て驚いた。私が見た頃は出来たばかりとて少し貧弱、それが13年経た現在の園はすっかり立派になっていた。

此処も経営は寺院だが、最近この種のものが多く、景観は立派でも骨を納めるカロート式であったり、値段が割高だったりだが、此処の樹木葬形式では、合葬だがそれぞれの標石は出来るし、値段も安く、私と二人分でも十分出せる。後の経費も一切不要と。

色々ある中この形式を問い合わせてみると、二つ並べてでも未だ十分ありますとの返事を戴いた。

船だが熱海からとばかり思っていたが、伊東にも寄ることを知り、これを今度見学しようと考えている。三原山の噴火の恐れがあるが、それを言ったらきりがない。

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2019年1月12日 (土)

インフルエンザ

Cyushaインフルエンザが、2種類も猛威を振るっているらしい。去年12月、私も家内を伊東市民病院から、稲取の療養型病院に転院させたら、その日にお二人ともインフルの注射をするよう言われ、市に照会した。

市外の場合は依頼書を出し、やりましたからよろしくと言う返事がなされるという事で、可成り面倒なのに驚いた。そこで私は市内で通っている整形外科に頼んだら、ワクチンがもう有りませんと。

そこでも一つ掛かっている内科に行くと、ここも切れてますと。やはり面倒でも稲取でと思っていた中、家内が急死。一切御破算となる。

それからはインフルどころでない毎日に忙殺され、今少し落ち着いてきたが、これから又しばらくお悔やみのお礼や、お墓、相続等が控えており、遠くから来てくれる娘と動き回る毎日で、少しは気も紛れている。

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2019年1月 3日 (木)

南伊豆の自然葬

Ico_ajisai_v1伊東市民病院での治療がこれ以上不能となり、稲取の療養型病院に転院となった家内、介護タクシーで向かったが、ここで2日後亡くなった。

省みれば、今年に入ってから徐々に老衰の傾向は見られたのだが、大人しい家内だったので、気が付かなかった。そして次々と難病になり、こうなったのも定めと諦めざるを得ない。

娘と支払いのため病院へと向かう。昼食に伊豆の食堂などに入る度、連れて来たかったと涙声になる。帰り、伊東市営天城霊園に寄る。私の登った遠見山の中腹に在り、相模湾一望で想像以上に立派だった。

ほぼここに決めて帰宅したが、娘は埼玉の婿さんの墓に入るだけに、将来の管理を心配している。それもそうだし、私としては墓石式の墓地には正直どうもだ。

天城霊園は市民優先で安価であり、適当とは思うが、自然葬の墓地は無いものかとネットで探した。近いのに大島があるが、熱海から船だ。

そこで見付けたのが南伊豆の自然葬の霊園「紫陽花の丘」。骨壺を収める墓石式の墓には反対の、茨木に本山のある臨済宗の禅寺の別院だそうだ。無論宗派を問わず。キリスト教もあると。

何か頼りない海などへの散骨でなく、地面に埋め紫陽花を植えるというもので、土に還るという考え方がピッタリ来た。住職に電話すると何時でもいらっしゃいとの事で、近い内訪れる予定とした。

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2019年1月 2日 (水)

自然葬へ

Tree去年暮れに家内が亡くなって一人となり、生前碌に何もしてやれなかったと回想すると、涙が止めどなく遣り切れない。

しかし何時までもこれでは参ってしまいそうで、騒々しいばかりであまり見ないテレビだが、無理にも見る事とした。余り可笑しくなくとも無理にでも笑うと、気持ちが楽になり笑う事の大切さを今更ながら感じた。ただ鉦や太鼓の騒々しい合の手は閉口だ。

葬儀は通夜、告別式一緒の近親者10名の簡素なものが出来(親類方が内心どう思われたかは分からないが・・・)、霊安室でお別れの後、すぐ傍の伊東市斎場に向かった。こちらの骨揚げの丁寧なのには驚いた。

お別れでは、遺影として北海道旅行時の小樽倉庫街での家内の写真を、音楽は家から持って行ったCDプレーヤーで、家内の好きだった童謡のBGMを流した。

そしてこれも好きだった水彩画家の母君が画かれた、葉書大の原画を棺に入れてやった。後、御了解下さいのメールに、理科の先生でもあり「星になられた事でしょう」と今頃の星空の写真を添付して下さった。

娘が入院時から遠くだが時々来てくれ、色々な手続きなど助かっている。娘の負担にならないためにも、この後簡素な墓標を建てた自然葬をと、南伊豆辺りで考えている。

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