散歩・小旅行

2017年1月 1日 (日)

大島

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伊東、城ケ崎海岸より大島。16.01.27撮影。

東京新聞、新年号、読者欄は私の未来。或る方が、私は82歳、病身で高齢の自分が、未来とは笑止千万かもしれないが、辞書によると「未来とは過去、現在と時の流れを三区分した一つで、まだ来ていない部分」とあり、語る資格は十分あるかと。

残念ながら、10年、20年後の未来展望とはいかないが、一日一日を大切にと言われている。私達夫婦も体に色々不安を抱えて生きているが、今のところ大した事も無く生活出来ており、感謝せねばなるまい。

長年ブログを見ていると、高齢の方で毎日更新していたのが、突然予告なく中断するケースが今まで3件あった。身寄りの方でもコメントしていただくと良いのだが。宙に浮いたかのブログが侘しい。私の場合家内より先ならそういう事考えておこうと思った。

人の死に方は様々で、読者欄にはある方の90歳で逝った義父が「俺は幸せだった」といって息を引き取ったとある。今読了した伊藤礼の「伊藤整氏奮闘の生涯」によると、整は最期まで癌の苦しみの中、書く執念を燃やしていたそうだ。

纏まりの無い感想になりました。今年も細々続ける所存ですので、拙いブログ時々お覗き下さい。

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2016年12月25日 (日)

オレンジビーチより

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伊東、オレンジビーチより。相州大山。

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初島。

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伊東マリンタウンの遊覧船、イルカ号。

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手石島。暖かい日が続く。

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2016年12月22日 (木)

自転車ぎこぎこ

Bicycle_1216日に続き、伊藤礼著「自転車ぎこぎこ」を読んだ。前半が自転車にまつわる諸問題で、後半は房州、笹子峠、遠州、山陰等を同志と共にサイクリングする。

笹子旧峠道は私も何回か歩き、1978年は矢立の杉を訪問しており懐かしかった。峠を山梨側に越えると甲斐大和の駅で、昔は初鹿野(はじかの)という優雅な名前だったのを改悪した。本書でも近傍の駅名の改変を嘆いている。

ここは駒飼集落で、2回も女子小学生に元気に挨拶された、良い思い出が忘れられない。雉が峠道に現れたこともある。

房州、遠州共に良い景色の中を行くみたいだが、私は著者と同年齢だがもうサイクリングは無理だろう。泊りでゆっくり歩いてみたいと思った。

最後の山陰では電車内に忘れ物で計画が変わったり、相変わらずのドタバタだが、親しい友人との自転車旅は人柄がにじみ出て楽しい。

折り畳み自転車を駅前で分解したり組み立てたりが、面倒と言えば面倒だが、クロネコで宅配が頼めることを知り大分楽になったとか。ところでローカル線の中にはそのまま持ち込める線もボツボツ出て来たらしい。

過日、テレビで台湾のサイクリストがグループで伊豆に来ている報道があったが、道路がサイクリングに適してなく、電車も分解しないと駄目とこぼしていた。

あちらはサイクリング先進国で、一周専用道があるとか。電車も普通に持ち込み出来、そのスペースまで確保されているそうだ。人口等も違うので一概には言えないが、日本も見習うと良い。 ★★★★★

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2016年12月16日 (金)

伊藤礼

Bicycle_12伊藤礼と言っても何人か判らない方が殆どであろう。私もこの年まで知らず、伊藤整絡みで知った次第だ。

あのチャタレイ裁判で一躍有名の作家、文芸評論家、その人の息子だ。息子と言っても私と同じ83歳。大学教授退職後、出しているその著書が面白く、内田百閒以来と褒める人もおり、私も同感だ。

弱かった体だが、歳取って始めたサイクリングですっかり丈夫になったらしい。読了したのは「こぐこぐ自転車」「大東京ぐるぐる自転車」。前者は北海道などにまで走る。後者は東京を走り回るのだが、一人または同年輩の友人達とのものもある。

「大東京・・」は自宅久我山からで、20年近く荻窪に居た私は、このころ自転車で近辺くまなく走ったので興味深かった。

下町だが、殆ど車だったので幹線道路沿いばかりで、自転車で一歩横道に入ってのルポは新鮮で、小石川後楽園や東大植物園など行かなかったのが今になって惜しまれる。

町田も団地が当たって30年ばかり住んだので、尾根幹線(戦車道路)など懐かしい記述だった。

今読んでいるのは「ダダダダ菜園記」で、自宅で家庭菜園を始め、耕耘機まで買ってしまう。好奇心旺盛、研究熱心な人だ。

クワイの栽培で、正月しか出ず、最近は栽培もされなくなったが、カニだイクラだと騒ぐが、クワイに勝るもの無しというの私もで、高かったのが手に入らなくなり残念だ。筆者は知人から種芋を貰って栽培を始める。

この後「自転車ぎこぎこ」と講談社エッセイ賞の狩猟物「狸ビール」、「伊藤整氏奮闘の生涯」を読む予定。氏の文章は自転車の如く寄り道、脱線が多く、紙数が尽きて次回回しとなってばかりで笑わせる。 全て★★★★★

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2016年11月25日 (金)

虹の郷4

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菖蒲ヶ池、橋方向。

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夜間ライトアップされる。

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イギリス村に戻り、休憩。ライトアップとて3時過ぎても続々入って来る。

紅葉見物なので、広い園のごく一部しか歩かなかったが、子供の喜ぶ施設も沢山あり良い所だ。 終   修善寺虹の郷

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2016年11月24日 (木)

虹の郷3

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菖蒲ヶ池、橋方向。

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赤松巨木と藤棚の道。

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菖蒲ヶ池、反対側より。

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2016年11月23日 (水)

虹の郷2

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黄葉。

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菖蒲ヶ池。

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2016年11月22日 (火)

虹の郷1

20日の日曜、雨上りの快晴で紅葉が良いとのことで、修善寺ー虹の郷に家内と出掛けた。14年9月伊豆高原ステンドグラス美術館以来の行楽だ。

伊東より修善寺駅に、冷川峠越えで約1時間のバスが出ている。鬱蒼とした森林の中をくねって上下する道で狭く、市内に入るとホッとする。そのうち伊東駅、修善寺駅(伊豆市)それぞれ折り返しになるかも。それでも行き帰り4~5人乗った。

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修善寺では道もバスも混んでいる。駐車場から撮った富士。この日滑落死事故があった。

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公園入口。入るとそこはイギリス村で、イギリスのおもちゃや土産物などあり、汽車がカナダ村迄出ている。

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汽車の踏切を渡ると下りとなり、紅葉が目に付くようになる。

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赤松の大木が多く紅葉と良くマッチしている。

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ここより日本庭園を目指す。

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2016年7月 5日 (火)

図書館のクスノキ

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伊東市音無町、大川畔に伊東市図書館(生涯学習センター中央会館)があり、2本のクスノキの大樹がある。

幹回り4.9m、高さ13m。今では4階建ての会館より高く枝を伸ばし、1980年開館よりシンボルツリーとなっている。

この地はそれまで別荘で、1955~1965年の地図には「くすのき荘」と記されていると。(伊東と熱海の名木物語より)代々の別荘主に愛されていたのだろう。

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この辺クスノキの生育に適しているのか、過日、城ケ崎海岸に行った節も、近辺の別荘に大木多く見事な雰囲気を醸していた。

我が家にも、南の傾斜地に3mばかりのが1本有るが、ほっておいたら大変な事になるので、時々の伐採が大変だが、伐るときに出る芳香が良い。

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2016年7月 2日 (土)

浄の池のじんなら

写真による紀行等を残している大竹新助(1997年亡)。文庫本で幾つか読んでいるが、その中の「伊豆・箱根の旅」ガイドブックの体裁だが、なにしろ1961年発行で、鉄道は伊東までの時だ。下田までの伊豆急は1960年着工とか?。写真の人物や風物が当時の雰囲気だから、ここで生まれた訳でなくても懐かしい。

その記事中に、伊東駅の裏手に浄の池というのがありというので、地図やネットで検索したが無い。よく見ると東海バスの伊東駅の裏手とあった。伊豆急が未だ無いのでバスが下田まで頻繁に発着、急行まで有ったらしい。そういえば駅から2kmに東海バス営業部がありここだったのだろうか。ともかくこの直ぐ先に浄の池は有った。

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現在仏光寺前というバス停傍で、今は私も行ったことのある横山医院がその跡だった。ここに浄円寺がありその池だったのだが、1703年の元禄大地震により寺は倒壊、少し先の高みに移った。その際池だけ残され、28°位の温度で、じんならその他の魚類が生息。近隣の宿から見物に来て茶屋も出たとか。

1922年、国の天然記念物となったが、1958年の狩野川台風から魚が居なくなり、記念物の指定も解除された。現地、今は横山医院となり、表の植え込みに由来板が有るのみだった。又、当時近辺に投宿した室生犀星が、亡くしたばかりの我が子を想い、身をじんならに例えた詩がある。

ーーじんなら魚 伊豆伊東の温泉(いでゆ)に/じんならと云える魚棲みけり。

けむり立つ湯のなかに/己れ冷たき身を泳がし/あさ日さす水面に出でて遊びけり。

人ありて問はばじんならは悲しと告げむ。/己れ冷たく温泉(ゆ)はあつく/されど泳がねばならず/けぶり立つ温泉(いでゆ)のなかに棲みけり。ーー  室生犀星詩集より

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詩碑が大川遊歩道の伊東図書館対岸にある。

Photoじんなら(迅奈良)は伊東の方言で、和名はコトヒキ(琴弾)。 参照 大正、昭和初期の池を見入る人々の写真が見られる。(写真をクリックで拡大)

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