房総
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此の所冷える朝、房総が遥かに。初島の横辺りが家内の眠る”森の墓苑”。家内を見送て6年に成る。2F窓から手を合わせた。
東京は丸の内で、主に引揚者の上陸港と成った舞鶴の展覧会を遣って居るらしい。
私は、祖父母、母、姉、敗戦時、大連の陸軍病院に居て、頼って来た親戚の男性の6名。
桟橋を渡ると御苦労様と出迎えて呉れた婦人会の面々。其の後米兵が頭からDDTを。
広間で休んでいると、食堂に御汁粉がとの事で喜んでぞろぞろ。お椀の底に僅かに冷たい御汁粉が。
祖父は何にも持ちたがらず、皆に文句を言われて居たが、1週間後に亡くなった。
父は満鉄でソ満国境の満洲里で捕まり、シベリヤへ。2年後に帰る。
兄は学徒出陣迄行ったが、其処で敗戦。東京や広島などに較べ、我家は幸運と言えようか。
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