メジロ
目白。「里山を歩こう」さんより。
ウクライナだが、小学校で給食中、空襲警報が鳴り途中で地下に退避する場面が有った。胸を突かれる。
唯、頑丈な地下で、我等の戦時中とは違って、羨ましいと言ったら変だが。
当時大連だったが、土を掘って板を渡し土を掛けた丈の物で、B29が市中に爆弾投下の時入った。
其の後雨で崩れ、父は満鉄社員で奥地に長期出張中とて、隣組が作り直して呉れた。敗戦1週間前の話だ。
父はシベリアに、兄は内地に学徒入営、母と母方の祖父母、姉、私、そして入隊後病気で陸軍病院にいた祖母の甥が頼って来て、翌年6名引揚となった次第。
ウクライナだが、最大支援国のポーランドも大変らしい。日本は欧米のように武器供与はしないが、もっとウクライナ、周辺国へ強力な支援が必要ではないか。
寒い冬ローソクで耐えている人達に、衣類など日用品、発電機等・・・。国境なき医師団、ウクライナ緊急支援に参加した。
(追記)政府は発電機3、暖房機6をキーウ近郊のブチャに提供と。
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