戦犯散骨
太平洋戦争敗戦後、極東国際軍事裁判で、東条英機首相等、いわゆるA級戦犯7人だが、その遺骨の始末が判り、昨日報道された。
遺族は火葬の際、皆一緒くたに捨てられたと思っていたらしい。私達も不思議とその行方等に関心を払っていなかった。
アメリカから資料が入手され、現場責任者の少佐が、火葬後横浜より軍用機で、太平洋上空に散骨。神格化を恐れたか、詳しい位置は不明と。
遺族は「どこかに廃棄されるより、自然に還されたのはましだ」と語っている。散骨と言うと今でこそ話題だが、それが当時の事なので驚きだ。
私の思い出だが、小学校(当時の国民学校)で敗戦、中学1年で中国東北(当時の満洲)大連より引揚、入営で敗戦を迎え命拾いをした兄が、東大(当時の東京帝大)から印刷局へ入ったので、小田原は鴨宮にある印刷局工場の寮に入った。
母がリュックを背負い、山北の農家に買い出しに行ったりしていた。満鉄社員で満洲里からシベリヤ送りとなった父もやがて帰って来た。
ペラペラの寮とて、押し入れに入ると隣の声が丸聞え。我々の部屋にラジオは未だ無く、隣から聞こえてくるラジオを母と姉と3人で聞くのが楽しみだった。
軍事裁判は良く覚えている。デス、バイ、ハンギングと言うのを知った。7回言った訳だろう。
東條は、ヒットラーと違い、トツトツとした面白味の無い話し方だった。大将やその奥様などが自決する中、彼は失敗する(娘婿は自決)。拳銃が心臓を逸れたらしい。狭霧の彼方の事とはなった。
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