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2016年8月11日 (木)

マッカーサー元帥

Dmacarther7日、テレビ東京の池上特番は、マッカーサーと昭和天皇の関係が割と詳しく紹介された。

フィリッピンでの「アイシャルリターン」や、退任時の「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の名言を残した。スタイリストで可成り暴君であったらしいが、物事の大局での判断は、軍人としては無論、後世に残る大政治家だったと言えようか。

6年間、自宅と司令部を往復する毎日だったそうだ。私も当時杉並に住んでいたが、司令部のあったお堀端の第一生命辺りをうろつき、軍人の出入りする様や、これを見物する人々を眺めていた覚えがある。

お忍びで夫婦が鎌倉の大仏前で撮った写真が出たが、何時の事だろう、ネットで調べたが判らなかった。

天皇制存続だが、戦前軍人として来日しており、東郷元帥や乃木元帥にも会ったそうで、日本人の天皇への絶対的な尊崇の念を知った事が、占領政策に大きく影響したようだ。

現憲法はアメリカの押し付けとして右翼的な人々は、何が何でも改正したい訳だが、真相は、旧憲法を少しいじっただけの草案を見せられ激怒、9日位であれを作ったので、それには日本の学者も参加したそうだ。

私は良いものは良いと思うので、改正?の必要は無いと思っている。任期中に是非と必死の安倍さん。止めようがない状況が心配だ。

20万とも言われる早朝の見送りに、夫人も感激したと言われる解任、帰国。だがその後「日本人は12歳」の発言で、人気はガクンだった。この演説、舌足らずで本心ではないとも言われるが、今となっては判らない。

色々、毀誉褒貶激しい人物だが、占領軍司令官として、日本にとっては最良の人物であったと思う。

追記:12日の東京新聞によると、堀尾輝久東大名誉教授が、国会図書館内で憲法調査会の膨大な資料から発見したのだが、高柳賢三調査会長がマッカーサー宛に次のような書簡と返信を見つけた。

ーー堀尾氏は国会図書館収蔵の憲法調査会関係資料を探索。今年一月に見つけた英文の書簡と調査会による和訳によると、高柳は五八年十二月十日付で、マッカーサーに宛てて「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案しましたか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と手紙を送った。

 マッカーサーから十五日付で返信があり、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです。

首相は、わたくしの職業軍人としての経歴を考えると、このような条項を憲法に入れることに対してわたくしがどんな態度をとるか不安であったので、憲法に関しておそるおそるわたくしに会見の申込をしたと言っておられました。

私は首相の提案に驚きましたが、首相にわたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」ーー

その他の書簡も、この9条と幣原首相を称えており、憲法がアメリカのお仕着せでない事が判る。

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