浄の池のじんなら
写真による紀行等を残している大竹新助(1997年亡)。文庫本で幾つか読んでいるが、その中の「伊豆・箱根の旅」ガイドブックの体裁だが、なにしろ1961年発行で、鉄道は伊東までの時だ。下田までの伊豆急は1960年着工とか?。写真の人物や風物が当時の雰囲気だから、ここで生まれた訳でなくても懐かしい。
その記事中に、伊東駅の裏手に浄の池というのがありというので、地図やネットで検索したが無い。よく見ると東海バスの伊東駅の裏手とあった。伊豆急が未だ無いのでバスが下田まで頻繁に発着、急行まで有ったらしい。そういえば駅から2kmに東海バス営業部がありここだったのだろうか。ともかくこの直ぐ先に浄の池は有った。
いずれも写真をクリックすると拡大
現在仏光寺前というバス停傍で、今は私も行ったことのある横山医院がその跡だった。ここに浄円寺がありその池だったのだが、1703年の元禄大地震により寺は倒壊、少し先の高みに移った。その際池だけ残され、28°位の温度で、じんならその他の魚類が生息。近隣の宿から見物に来て茶屋も出たとか。
1922年、国の天然記念物となったが、1958年の狩野川台風から魚が居なくなり、記念物の指定も解除された。現地、今は横山医院となり、表の植え込みに由来板が有るのみだった。又、当時近辺に投宿した室生犀星が、亡くしたばかりの我が子を想い、身をじんならに例えた詩がある。
ーーじんなら魚 伊豆伊東の温泉(いでゆ)に/じんならと云える魚棲みけり。
けむり立つ湯のなかに/己れ冷たき身を泳がし/あさ日さす水面に出でて遊びけり。
人ありて問はばじんならは悲しと告げむ。/己れ冷たく温泉(ゆ)はあつく/されど泳がねばならず/けぶり立つ温泉(いでゆ)のなかに棲みけり。ーー 室生犀星詩集より
詩碑が大川遊歩道の伊東図書館対岸にある。
じんなら(迅奈良)は伊東の方言で、和名はコトヒキ(琴弾)。 参照 大正、昭和初期の池を見入る人々の写真が見られる。(写真をクリックで拡大)
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