出来湯
川端康成の有名な「伊豆の踊子」を始め、伊豆関係の短編や紀行等を収めた「伊豆の旅」の中に、伊豆温泉記がある。川端の入った伊豆各地の温泉記だが、その中に伊東の出来湯というのがある。
ーー「この子供の温泉ごっこの小鳥の湯のように、いかにも自然に出来た感じの湯は、伊東の松原区の出来湯だ。寛永年間の発見という。湯船の底が道路と水平---つまり少しも掘り下げていないのが、よそに見られないこの湯の珍しさだ。
広々とした葦や茅の茂みの中に自然と湯が湧き出ていた。それを長さ2間ばかりの石材で桝形に囲んで湯船とした。こうして出来たのだという。だから桝湯の通り名がある。底の砂利一面から、ぷつりぷつりと泡立って湧いている。湯の中に青みどろのようなものが生えていた。」ーー
場所は伊東駅から下田に向かい直ぐで、江戸時代初期の、寛永大地震で湧出するようになったことから、出来湯と呼ばれ、牛馬を洗ったことから馬の湯とも呼ばれ、出来湯権現がまつられるようになった。
御神木として馬具などに使われるエノキが選ばれ、幹回り2.5m、樹高15m。とまでなったが、2011年台風などでやられ主幹上部が伐られた。(伊東と熱海の名木物語より)。
出来湯は湯煙が上がり、川のように流れたのでこの辺今も湯川というが、川端が記したころ(1929年)はまだ見事だったらしいこの地も、1923年関東大震災が起こって、地盤沈下1940年ころは温度も湧出量も減少の一途となり、現在は権現社を残すのみとなった。
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現地は周辺の家やスーパーに挟まれた狭小の地で、エノキの大木も無くなって、小室桜の幼木が2本植え込まれていた。デパート並の便利だった隣のスーパーも、耐震費用が工面出来ず撤退、他社のスーパーが1階のみで営業、こんな地方都市でも改廃が激しいようだ。
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