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2015年5月23日 (土)

敗戦間近の思い出

Airplane22日の東京新聞で、2500万人知らぬ間に義勇隊の記事。敗戦も近いころ、破れかぶれの状態になった政府、軍が賭けた総動員の記事で、モンペの婦人たちが砂浜で竹槍訓練をする様子の写真も載っている。誰もこんなものでと思いつつ、やるしかなかった、哀れなわが日本のその頃の状況だった。

広島では4千人余の人々が他所より入り、延焼を防ぐための建物疎開と称しぶっ壊す作業中、あの弾が落下亡くなったと知る。今になって聞くとなんと愚かな事となるが、当時は皆真剣に毎日、ひたすら戦争のために出来ることをと必死だったと思う。

当時私は大連で小学校(戦時中は国民学校)5年生位だったと思うが、授業そっちのけでお手玉で手榴弾の投擲、モールスや手旗信号の訓練などを連日やっていた。

飛行機は教室に張られた写真を見乍ら、名前と音を拡声器が流す。なんとスマートな敵機よ、それに比べダサイ友軍機と正直心中思った。

周水子飛行場に行き、弾運びをしたが、皆で話しながら作業中、突然現れた将校に「貴様等たるんどる!」の大音声に、縮上がったのが強烈に記憶されている。

飛行機の音は色々聞かされた訳だが、実際やって来たのはB29。ウォーン、ウォーンと不気味で、翌日の新聞にウン、ウンとあり、一寸違うなと思った。

そして敗戦、茫然自失の状態となったが、やがてアメリカの艦載機が見た事も無い大量に低空飛行。一週間という猛烈な速度で到達した、ソ連軍の戦車の轟音が市内に響き渡り、あゝ負けてしまったのだと実感した。

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