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2014年2月20日 (木)

懐かしの我家

西澤泰彦著「大連都市物語

大連に生まれた私だが後述するように、今の大連には余り行く気がしない。昔の幼い頃の良き時代の思い出だけ大切に取っておきたい。そんな思いでこの本を開く。建築史の学者で、かつての大連の建築物に焦点を当てたこの本。

大きな建物は子供の頃とて私も良く知らないのまで、くまなく収録されているようだが、住宅建築も少しある中、全く期待していなかった、我家の写った白黒の小さい一枚を見つけ驚喜した。

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左は弥生ヶ池公園で、路を隔てて右下の2戸1棟の右半分が我家である。1933年ここで私は生まれた。写真は1920年代とある。母の話では、引越しを繰り返しやっと落ち着いたのがここといっていた。南に山を背負った大きな公園があり、路も広いが当時とて殆ど車も通らず、静かで明るいのが気に入ったのだろう。

中央の橋は公園の池からの川に架かったもので、当時手前の山の彼方の集落から中国人(満人)の勤め人が沢山市内へ通っていたが、何人かが橋の左端から出入りするのを目撃した。ある日下りてみて人糞が沢山あり辟易するが、帰国してそれは便所もろくにない彼等がやったことと推測した次第だ。

橋の右手、電柱のある所は戦時中、我家の防空壕だった。一回きりのB29の空襲の時入った。その後豪雨で崩れ、隣組の人達が協力してくれ、家の前の公園に新しいのが完成して間もなく敗戦となった。

我家一帯は市営住宅、川向こうといって先は高級住宅地だった。「アカシヤの大連」の清岡卓行も直ぐに住んでいたようだ。張作霖事件の河本大作の豪邸が出来、戦後はソビエトに接収され、女性の将校が歩いていたのを見たことがある。

公園沿いの坂道は途中から急になり人力車でジグザグ登ったり、マーチョという馬車で下ったこと等思い出す。満鉄の出張が殆どだった父の駅までの同乗だったのではないだろうか。

上り詰めた右の建物は、天理教の道場だと思う。その先に同級生の女子の住む奥深い屋敷は正金銀行支店長だとかで、皆で呼び鈴を押して逃げたりした。石蹴り、縄跳び、トンボ捕りと道の上で遊び、冬は池でスケートと思い出が一杯詰まっているが、今はマンション林立、川も埋め立てられたと。路上駐車も一杯で、昔日の面影はないようだ。

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