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2008年7月20日 (日)

(山路回想28)車に拾われて

Car_4 山から下りてかなり長い道のりをバス停や駅に向かい歩いている時、タクシーの帰り車を捕まえられた事が2回あったが、車に拾われた事も何回かあった。拾われなかったり、車自体が通らぬ道を延々と歩くほうが多かったが。

1。1975.11.30道志、入道丸の帰りで道を聞かれた車に、東野バス停まで乗せて貰ったのが最初。山を始めて二回目だった。

2。1979.06.02南大菩薩縦走で初鹿野駅より夜行で湯の沢峠を目指しヘッドランプと手提げ懐中電灯で向かっていた。(これは唯一行きの時)この先の嵯峨塩へ里帰りの方の車に拾われ、林道分岐まで乗せて頂く。湯の沢峠は小屋の無い時登られたそうだ。

3。1981.02.08天子山塊の五老峰から倒木と藪と雪で手間取り、毛無山に着いたが正面に堂々の富士は早や夕景色。懐電頼りに駆け足下山。毛無山に登り端足峠から東海自然歩道で戻ったと言う青年に、朝霧バス停まで送って貰い終バスに間に合う。

4。1981.04.12道志主脈のブナダツマ→菜畑山→今倉山と歩き、都留二十六夜山より下山したら、一帯はゴルフ場になっており、まごついていた私を見つけた整備工事のダンプに入り口まで乗せて貰う。山姿で恥ずかしくコース内を歩いて、挙句見咎められるのかとおどおどしていたので助かった。登山道など無視して作られたのか。

5。1981.12.30奥秩父、雁峠→雁坂峠→木賊山と歩き林道に下山、折から箒の材料を取りに来た軽トラックに拾われ広瀬湖バス停まで。

6。1982.12.30奥秩父、雁坂峠→甲武信岳→十文字峠から長大な尾根歩きの末栃本に下りるが、バスは終わりとぼとぼと国道を歩いていると山好きの青年に拾われ秩父湖の終バスに間に合う。

7。1983.04.24大菩薩、御前の頭→野脇の頭と藪山を歩き、道なき道を強引に中村集落に下りた。豚を飼育しており、その飼料を貰って貸し農園に使うという車が乗せてくれた。大月駅でスナック2軒も営むとかで駅までで助かった。

8。1984.11.03大菩薩、上日川峠→石丸峠→松姫峠と歩き、今は深城ダムの湖底に沈んだ深城集落辺を懐電で歩いていて、紅葉見物の車に上和田バス停まで送られる。

タクシーを含め乗車中、山や山梨の地元の話などで、色々と楽しい思い出として残っている。あるタクシーの運転手はぶどうも栽培しており、新しく「巨峰」が売れているが、今から作って収穫できるずっと先にどうなっているか、難しいといっていた。

(付記)2。の初鹿野駅だが、1903年初鹿野村に出来たが、1941年村は付近と合併大和村となるも駅名はそのまま。1993年甲斐大和駅と改称されたが、2005年又合併で甲州市となり大和の地名は消滅した。

私的には初鹿野(はじかの)の地名を愛する。合併の度に良い名前が消え、甲州市だの伊豆の国市では悲しい。一つに偏するのを避け無難な名前にするのだろうが、そろそろ歴史上貴重で良い名前の復権が望まれる。

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コメント

せいざんさん、いつも素晴らしいブログを拝見させてもらっています。
今年の四月に湯ノ沢峠から大谷ヶ丸~甲斐大和駅まで登山をしました。

途中、コンドウ丸の辺りで古びた標識があり、「初鹿野駅←」と表記されていました。
いったい、いつ頃のものなのかと興味を持ちましたが、そのまま忘れていました。
せいざんさんのブログにより謎がとけました。ありがとうございます!

僕は1974年生まれの33歳です。せいざんさんは僕が子供の頃に多く登山をなされていたのですね。先人が歩いた道を自分が歩いたいたことを知り嬉しくなりました。

投稿: ケイジ | 2008年7月21日 (月) 22:46

ケイジさん。
コメント有難うございます。
湯ノ沢峠から登られた由、懐かしいです。
今は伊東なので伊豆の山をぼつぼつですが、肝心の天城山に未だです。
山歩き気をつけてお楽しみください。

投稿: せいざん | 2008年7月22日 (火) 07:50

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