(大連の思い出25)祖母の甥
大連湾の対岸の柳樹屯に陸軍病院があり、満州に応召して病気になり、入院していた祖母の甥に当たる誠一さんが家を頼って来た。我が家は年寄り女子供なので、優男ではあるがとても力強く有難かった。昔から祖母が可愛がっていた人らしい。
公園で首吊りがあった。人の死んだのを初めて目撃してショックだった。又学校帰りの事だったが、塀にもたれて座っている男が、虚ろで絶望的な表情で私を見上げた。走って帰りあの人死んじゃうよ!何とかしてと告げた。誠一さんが様子を見に行ってくれ、更にお握りを持って行ったら礼を言って食べ、当ても無く歩き出したそうだ。
中国人による略奪の動きを察知した場合、盥、洗面器、バケツ等を皆で叩く申し合わせがあった。ある夜誠一さんが夜の巡回に当たり玄関を出た途端、青龍刀を振りかぶって来たそうだ。大声を上げると隣家のご主人がポストの口から笛を吹き、町内が一斉にバケツ等を叩いて追い払った。誠一さんは峰打ちで打撲傷ですんだ。
翌日祖母が隣のご主人と話をしている。有難うと言ったらしい。戦前からおばあちゃんと言ったとかでずっと口を利かなくなり (参照) 、我々も付き合い禁止状態だったが、可愛い誠一さんを救ってくれた事ですっかり機嫌を直したようだ。我が家では歴史的な事件だと囁き合った。
ある晩は寝ていて、暴徒が来るとの知らせがあり慌てて着替え、町内一斉に逃げ出す事になった。1kmも逃げたろうか。100人近い集団が深夜一言も口を利かず、ヒタヒタと走る様はなんと異様な光景だろう。保安隊が来て帰って大丈夫となった。
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