(大連の思い出23)ソ連軍進駐
間もなくアメリカの艦載機グラマンが、100機ばかり来て上空を乱舞、日本が敗けた事を実感した。1945.08.09ソ連が日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻した。満州里では父も軍人軍属でもないのに、バイカル湖方面に抑留された。
(満鉄軍属とは陸海軍の指揮監督により軍務に従事した南満州鉄道(株)等の国策会社の職員等とあるが、父は病院の事務と聞いていたが軍務に従事していたかどうかは定かではない。)
ソ連軍は08.22。つまり"敗戦の詔勅"から1週間後には大連に到達した。戦車の轟音が市中に響き渡り、我が家の前も走って行く。初めて見る戦車とはこんなに速いものか。そして曲がる時は片側のキャタピラを止めて、反対側を動かし直角に曲がる事を知る。アスファルト舗装の大連の道路は忽ち滅茶苦茶になった。
ソ連兵の略奪には2回遭った。1回目は昼間で、次々と家を回って来るのが判り、母と姉は床下に隠れ祖母と私だけが居た。祖母に自動小銃を突きつけ何か叫ぶが判らない。女を出せと言っているらしいが、手を振ると引き揚げていった。その後数軒先の家で銃声がした。床下に隠れていたそのすぐ隣に打ち込まれたそうだ。
2回目は夜で、開けろと怒鳴っているらしい。その内片っ端からガラスを叩き割りだし、祖母が慌てて開けると雪崩れ込んで来た。この時は時計等を盗られた。アメリカ、ソ連、中共、国民政府と入り乱れての時期で、特にソ連兵の女性への暴行は中国人にも及び評判が悪く、ヤマノフ少将からコズロフ中将に換えられて"略奪者は死刑に処す"の布告が出てからやっと収まった。
市役所の半地下の窓から捕まった兵隊がこちらを見て不敵に笑っていたのを覚えている。シベリヤ送りの囚人兵が多かったと言う。軍自体もドサクサ紛れに日本の会社などの設備、製品を片っ端から持ち出して本国へ送り、中国の対ソ悪感情の元にもなった。
しかし隊伍を組んで行進するソ連兵の歌声は、かつての日本兵がありったけの大声で怒鳴るのと違い、2重唱の実に素晴らしい合唱だった。日本に帰ってから来日したドンコサック合唱団を聞いたが、一般人である彼等が負けない位上手いものだったと今でも思う。我が家の玄関先で休憩して歌っていた。そこに学校から帰って来た私が恐る恐る入ろうとすると、座っていた兵隊が道を開けてくれた事があった。少年のような丸刈りの囚人兵も混じっていた。
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