(大連の思い出22)B29そして敗戦
初めてB29が飛んできた。ウワーン、ウワーンという独特の爆音を響かせて。翌日の新聞にはウン、ウンと出て一寸違うなと思った。何回か来た内1回市中心部に爆弾を落としたが、ヒューッと物凄い音だった。木造家屋が無いので焼夷弾は落とさなかった。
いつも警戒警報のサイレンで既に侵入、空襲警報が鳴るのは後だった。皆防空壕に逃げ込むのに、私は2階の窓から低空で飛ぶ大きな機体を眺めていて、なにやってるの速くしなさい!と叱られた。
高射砲が転山を始め、一体どこにこんなに有ったかと驚くほど撃たれたが、一発も当たらず悠々と飛んでいる。弾が当たっても直ぐ跡形も無く元通りになるのだ、との噂が流れたりした。
もうこの頃は精鋭は南方に転進し、残っているのは徴兵された素人同然の兵隊ばかりだったらしい。防空壕が雨で壊れてしまい新しく公園内に完成したり、隣の人が奥地に徴兵されたのは降伏の数日前だった。
そして 1945(S20)08.15 正午のラジオで天皇のお言葉があるとの事で、学校から帰された私と祖父母、母の4名はラジオの前に正座した。雑音がひどく初めて聞く天皇陛下の甲高い声だが、殆ど意味が判らず、国民を鼓舞されたのだろうという事になった。
しかし間もなく女学校から帰って来た姉により、日本は負けた事を告げられ呆然として、体中から力が抜けていった。そして皆何も手に付かない状態がどれだけ続いたろうか。
私は学校を休んでしまったが、校庭で校長の話の間に10人近くの生徒が卒倒したそうだ。この時点で、我が家は父が満州里よりシベリヤに抑留され、兄は内地で入営のまま終戦を迎えた。
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