(大連の思い出17)乱読
日本未曾有の総力戦に突入したので、生活の全てが戦争中心に動き出した。勉強は修身は欠かさず教わったが、他の科目は殆ど棚上げ、何しろ戦争に話が絡みだすと、時間が来るまで戦争一色で終わってしまうような先生だった。後戸外での教練等・・・。それまでの1~2年で読み書きや算数の基礎を教わっていたから良いようなものだが。
そんな中私が字や色々な事を覚えたのは、殆ど家にあった本でだった。1階の茶の間には祖父の書棚がある。覚えているのは(思い出5)に記した「岡本一平全集」の外、赤穂義士伝の分厚いものだ。後半が銘々伝になっておりかなり詳しいものだった。「鳩翁道話」等と言うのもあった。その頃吉川英治の「新書太閤記」や「三国志」を粗末な本で読んだ記憶がある。
大連日日新聞に連載されたバイコフの「牝虎」等も読んでいた。2階の父の書棚では経済関係の本が大部分を占めていたが「漱石全集」は全巻あり、特に繰り返し読んだものは、我輩は猫である、坊ちゃん、草枕、坑夫、等か。日記、書簡、断片等を読んで、小説の随所にそれがちりばめられているのに感心した。
兄は小学校→中学と主席で通し、先生の薦めで六高→帝大と進学するのだが、これだけは読まなければとかで、岩波文庫を100冊ばかり買って来てミカン箱に入れてあった。でも試験勉強で参考書片手に部屋を歩き回り、姉と私が騒ぐとうるさいと怒鳴られたが、これらの本を読んでいるのを見たことが無かった。そのうちに出征(入営)。殆どの本を私が読んだ。
ポーの「アッシャー家の崩壊」、プーシキンの「大尉の娘」ゴーゴリのもの等が記憶にある。何しろ判らない字は飛ばして遮二無二読んでいるうちに"読書百遍義自ら通ず"で字も覚えていった。毎日家に籠って本ばかり読んでいるので、母に大人の本を読んではいけませんよ、とよく叱られたが構わず読んでいた。理解度は兎も角この乱読が学校で教えてくれなかったことを随分学んだ気がする。
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