(大連の思い出15)関特演
関特演は、日本軍の関東軍特殊(又は特別)演習のことで、1941(S16)年7月70万の兵力が満州に派遣された。(ソ連ではモスクワにドイツ軍が迫っている時で、シベリヤよりの救援部隊の移送が出来なくなり、対日宣戦布告が条約期限切れ前だったのは、この時点で日ソ中立条約は無効と主張しているらしい。)
家の前の公園では突然日本軍の大演習が行はれ、機銃や鉄砲の音で耳がおかしくなってしまった。あれはその時のものだったのかはっきりしないが、たしか夕方から夜に掛けて行われた気がする。
秩父宮が大連に来られたのもこの頃ではなかったか。学校では全生徒を動員して郊外の道端に並ばせた。何時間も待った末通過する車列に深々と礼をする私達。顔を拝する等とんでもない。周水子飛行場から来られたものだったか。
学校では講堂だったか映画館だったか忘れたが"奴隷船"という映画を見た覚えがある。アメリカが、アフリカより奴隷を大量に船に乗せ運ぶのだが、皆鎖で数珠繋ぎにされて、ぎっしり横に寝かせられた過酷な光景にショックを受けた。日本に立ち寄りその時何人か逃げ出し追いかけられるのを、日本の警察が救うと言うような所を朧に覚えている。
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