(大連の思い出14)公園と神社
家の南側は道を隔てて"弥生ヶ池公園"なので、日当たりは最高だ。道は2車線で広いが車は殆ど通らないので、センターラインなど無い。歩道も無論ある。市営住宅なので年1回係りが悪い所を調べに来て、その後10人位の職人が補修を行う。その日はおちおち家の中に居られない。畳替えだけは別の日に日本人の職人だったと思う。
公園入り口より少し登ると左右に土堤となり桜が植わっていて、弥生ヶ池が拡がる。トンボ、オタマジャクシ、アメンボ等を相手に遊ぶのに飽きない。先は南山という岩山が聳え、そこから派生する幾つかの尾根は、末端で広くなって池に落ち、桜が植えられお花見には絶好の場所だ。ずっと奥の雑木林で夏には林間学校が開かれ、宝探し等の楽しい思い出の所だが、敗戦後満人が徹底的に裸にしてしまった。
大連は岩山に出来た都市で不断に流れる川が無く、夏は慢性的に水不足だった。公園にただひとつ有る井戸に皆貰いに行く。満人の管理人の家の横だが、ここの親爺だけはこの時威張っていた。グーグルアースで見ると今は郊外に大きな貯水池が出来ている。幼少期の一番よき思い出の公園は今"大連植物園"になったらしい。
公園から数km先に"大連神社"があり、お祭りは全市ここで盛大に行われ、広場では神輿、花火、そして満人による蛇踊り等が行われた。神社の境内両側は言うまでも無く夜店が出ていたが、綿飴の記憶があるばかりだ。神社の前を通過する時は電車の中でも立って手を合わせたものだ。その神社ももう無くなったなと思っていたら、水野宮司が御神体を守り抜き帰国後、氏子たちの協力で下関に再興されていた。
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