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2007年3月17日 (土)

(大連の思い出6)柳絮とアカシア

Tree 4月頃家の西側の川沿いの道路一杯に、綿が風に吹かれてふわふわ流れ飛ぶ様はちょっと壮観だった。川縁にある樹からの物であることは判っていたが、樹の記憶がまるで無い。

ヤナギ科ではあるが楊樹(ポプラ)と言い、春の花が終わると直ぐ綿毛付きの種子を飛ばし、それを柳絮(リュウジョ)と言い春の到来の象徴だと言うこと等後で知った。

しかし"グーグルアース"で、付近を拡大してみると、川は埋め立てられ家が建っているようだ。川は暗渠にしたのかもしれない。樹は残っているのだろうか。リュウジョアレルギーとかがあるらしいので無いかもしれない。

070319niseakashia

http://www2.odn.ne.jp/~had26900/wild_plant/wp5_f/niseakashia.htm        よりニセアカシア↑

大連と言えばアカシアの街路樹が有名だが、私の記憶では家の東側にある転山の麓に自生したアカシアの林位だ。5~6月房状で白色の花が咲くと仄かな蜜の匂いが漂ってくる。テンプラにして貰い美味かった。

マメ科クララ属の槐(エンジュ)をアカシアと言い、大連ではこれは少なく、殆どはマメ科ハリエンジュ属の針槐(ハリエンジュ)だと言う。アカシアはネムノキ科アカシア属を指し、ハリエンジュはニセアカシアとも言う。"アカシアの大連"は正しくは"ハリエンジュの大連"と言う訳だ。ああややこしい。

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コメント

初めまして。大連の記事を検索していてこちらのブログを見つけました。
父が大連生まれです。昭和4年です。
今年1月に亡くなり、もっと昔の話を聞いておけばよかったととても後悔しているところです。
家は朝日町、学校は朝日小と二中でした。
私は満州唱歌がいくつか歌えるのですが「やなぎのわた」とはどんなのだろうかと調べていて、こちらの記事にあたりました。大変嬉しいです。
今もお元気で更新されておられるようで本当に素晴らしいです。また読みにこさせてください。

投稿: 内藤 | 2017年5月18日 (木) 22:28

内藤様、細々続くブログ見て戴きありがとうございます。
お父上、私より4つ上ですね。私もメッキリ弱って来ました。
素晴らしかった大連ですが、記事中にもありますように、思い出の中にそっとしております。
お父上のことで、何か参考になれば幸せです。

投稿: せいざん | 2017年5月19日 (金) 09:48

お返事ありがとうございました。
父は二中の母校訪問同窓会などで2度大連に行きました。やはり「もっと広々としていたのに」とか「きれいだった家々が間貸しアパート状態で荒れていた」とか、残念な思いもあったようです。それでも母校や住んでいた家があったので、それなりにいい思い出にはなったようでした。
海水浴のこと、スケートのこと、旅順まで夜中に行軍する訓練があったこと、ロシャパン売り・納豆売り・サンザシの飴売り・焼き栗売り・玄米パン売り・ポーズ売りなどのこと、家にロシア人の女中さんと中国人の料理人がいたこと、売り食い生活になったら象牙の麻雀牌が最初に売れたこと、いろいろな話を聞きましたが、もっと聞けばよかったと後悔ばかりです。
どうかたくさん書いておいてくださいませ。私のように喜ぶ者もいます(笑)。

投稿: 内藤 | 2017年5月19日 (金) 15:22

内藤様、私も大体お父様と同じ経験をしたと思いますが、あすこに書いたのは強烈に印象に残った事柄なので、それ以外は断片的で、もはや狭霧の彼方です。

内藤様は結構お父様に聞かれているではないですか。私等シベリア帰りの父に何も聞いてません。それと子供の時の記憶では、大人になってからだと小さく見えるようです。

小学校の同窓会ですが、誘いのあった時は行かず、仕事を辞めてから探しましたが、解散したらしく消息がつかめません。

兄も一昨年91で他界、86の姉は健在ですが、お互い遠く随分逢っていません。

投稿: せいざん | 2017年5月19日 (金) 16:10

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