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2007年3月

2007年3月31日 (土)

トラック事故と鉄道の見直し

Car_track_v2 昨年11月、トラックが過労運転の末居眠りで、渋滞の列に突っ込み、タクシーを挟み込んでの死亡事故があった。(運転手は懲役4年半)

この事故では運転手が休ませてくれというのに「若いんだから大丈夫」と無理なスケジュールで運転させていた配車係が29日逮捕された。

トラック運送業界は競争が激しく、運転手に皺寄せされ事故が多発しているのに、役所は何等根本的な対策を立てようとしない。

Co2を減らすためにも、今又鉄道輸送が見直されて良いのではないか。不急な貨物は鉄道に振り向けるべきだ。自由競争に任せていては、トラックの過労による重大事故は後を絶たないだろう。

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2007年3月30日 (金)

ウラシマソウ

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浦島草。花序の付属体が仏炎苞から長く伸びる。雌雄異株、時に同株、球茎の大きさで性転換。伊豆地方には多いらしい。 したたかな植物たち のマムシグサ参照。

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2007年3月29日 (木)

欧米の肥満増深刻、日本は?

Kusshin WHOによると肥満の指標BMI(標準22、肥満25以上)が、30以上の肥満人口が、欧米では1995~2000年で2億→5億人となり、人口に占める肥満者の割合は、アジア諸国に比べ際立って高いそうだ。

アメリカのフロリダ州で、体重150kg超の入院患者が、20年前は1年1人いるかどうかだったが、今は毎日のように運ばれてくるそうだ。各国とも救急車を大型化して対処している。

体重増により旅客機の燃費を押し上げ、アメリカだけでも年間 380万t ものCo2を排出していると。肥満は健康問題ばかりか環境問題に迄なって来た。肥満をもたらす飽食、運動不足、欧米的食文化を続けている日本も危ない。

バイキング等に食べに行くと、以前に比べ一見して肥満体が目に付くようになった。また子供達の偏食も凄い。いったい何を食べてるのか不思議な位あれいやこれいやが多い。

我々戦中戦後の食糧難を経験した者は、何でも食べられるし、食べる以上平らげる。食べないなら最初から食べない。バイキングだから好きなものだけ取って来るのはしょうがないとして、それすら残す。もったいない等思わない。口当たりの良い物は肥る物ばかりだ。かくして肥満への欧米化は日本でも急速に進みつつあるようだ。

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2007年3月28日 (水)

チョウセンレンギョウ

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朝鮮連翹。生まれた大連もレンギョウの多いところで、サクラと同時で春到来を感じた。

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2007年3月27日 (火)

(大連の思い出10)黄砂とお花見

Sakura 春になるとゴビの砂漠から、偏西風に乗って 黄砂がやって来る。蒙古風と言って昼間でも薄暗くなり、どんなにぴったりと扉や窓を閉めても、隙間から砂が入って来る。それ程の細かいものだ。(直径10μm以下)綺麗好きな母は「いい加減にしたら」と皆が言うのだが、一日中雑巾掛けでくたくたになっていた。今はもっとひどくなっているようだ。

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2007年3月26日 (月)

トウダイグサ

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燈台草。2年草。膨らんだのは受粉後の子房。海岸沿いの国道にて。

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2007年3月25日 (日)

グランドキャニオンの空中橋

Statue_of_liberty アメリカのグランドキャニオンに"スカイウォーク"なる空中散歩橋が完成した。大渓谷に張り出したU字形の歩道で、1200mの高さから床の強化ガラスを透して雄大な渓谷を見下ろすのは、確かに凄い圧巻の景色だろう。公式サイト↓ http://www.grandcanyonskywalk.com/Japanese/home.html

しかしここは世界自然遺産に指定されており、インディアンの聖地でもある。インディアンの中も観光収入を当てにした賛成派と聖地を守る反対派に別れているらしい。(インディアンを貧しい生活に追い込んでいるのは、建国以来のアメリカの恥でもある。)今回はそのインディアンにも収入をもたらす事で、自然保護関係者の反対をも押し切って作られたらしい。

私は写真で見ただけだが、あの雄大な自然の鑑賞は、周りに自分以外の人間が居るだけでも邪魔だろう。ましてや色々な建物が建ち張り出しまでして、見なければならないとは情けない事だ。

景観というものはそれが如何に破壊されても、生活に支障が無い限り平気でこのような事がなされる。富士山は周辺にあまりにもゴミが多いので、自然遺産に出来ない難点の一つらしい。(文化遺産で運動中)グランドキャニオンも、自然遺産を取り消したらどうだろうか。

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2007年3月24日 (土)

ソメイヨシノとギンヨウアカシア

染井吉野と、銀葉アカシア。今日は伊豆高原桜祭りだが、雨なので去年撮ったのを載せた。伊豆高原駅下車、北へ3kmばかり道の両側に咲いていた。

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途中の民家に見事なギンヨウアカシア(ミモザ)があった。我が家でも苗を買ったが、本苗は枯れてしまい、脇に出ていた小苗3本の1本だけやっと着いているが、ひょろひょろで、毛虫に盛んに食われ花の咲くのは何時のことだか。

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2007年3月23日 (金)

(大連の思い出9)南山麓小学校

Piano_1 弥生ヶ池から川沿いに緩く下ると、私の学んだ南山麓小学校に到る。大きな運動場の外、道を挟んで"上の運動場"という中くらいのもあった。傍に幼稚園があったが、あの頃は今と違いあまり入らなかった。

校舎は日の字形で真ん中が講堂、左右がテニスコートと中庭。冬はテニスコートはスケートリンクになる。1、2年は養護学級とて、男女共学、肝油を貰うことくらいの違いだったと思う先生は女性で優しく、私達の市営住宅に住み、伺ってピアノを聞かせて頂いたりした。

3年生からは太平洋戦争開戦となり一転して男女別になり、尋常小学校→国民学校と改め"皇国の訓導"である男性の怖い先生が担任になった。(国民学校は皇国史観と軍国主義を徹底的に叩き込む目的で作られ、訓導は当時の小学校教諭のこと)

校内の思い出で一番記憶にあるのは、2~3名で床下にもぐり適当にここはどこだとそっと床板を持ち上げたら保健室で、我々が覗いているとは露知らず先生が生徒を診ているところだった。校舎は現在建て替えられたらしい。グーグルアースで見ると上の運動場は無くなって一杯建物が建っている。

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2007年3月22日 (木)

シロバナマンテマ

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ヨーロッパ原産の帰化植物。海岸に多い。花が一方に偏倚して付く。海岸沿いの国道の植え込みにて。

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2007年3月21日 (水)

(大連の思い出8)ストーブ、窓霜など

Snow_crystal_w3_10_4 私の家は市営住宅で建設時はペチカが付いていたが、あまり暖かくないとかでどこの家も石炭ストーブを使っていた。火力が強く暖かいが、紙→薪→粉炭→豆炭→石炭と点けるのが厄介で、絶えず石炭の補給をしたり、今の暖房に比べると世話は大変で、裏に大きな石炭倉庫があり、廊下にも小出し用の置き場があった。

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2007年3月20日 (火)

キランソウ

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地面に蓋をするように広がるので、"地獄の釜の蓋"という凄い別の名がある。

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2007年3月19日 (月)

(大連の思い出7)出張の父帰る

Basha 半官半民の国策会社、満鉄(南満洲鉄道K.K.)は、1944(S19)年には社員4.5万人、従業員総数40万人だったと言われる。父はその満鉄社員で私の幼い頃は既に奉天に出張、年に2回、1週間位帰って来る生活だった。

1回大連駅に迎えに行き、馬車に乗って帰って来た事があった。馬車に乗った記憶はこれだけだ。父の顔を忘れてしまい、どこのおじさんと言う感じだったらしい。その内すっかり馴れた頃は戻ってしまうという繰り返しだった。

寝ていて鬚を顔におっつけられて痛かったのが、強く記憶に残っている。父が足の上に私を乗せ手を持って「一人歩けば二人歩く」と節を付けて唱えながら歩くのはよくやった。"オンデババチョ"と言う遊びだったが、ネットで調べても判らない。

祖父母、母、兄、姉、私の見守る中での夕食。祖母が父の事をとてもおいしそうに食べるとよく褒めていたが、我が家はサザエさんと同じ母方の祖父母なので、マスオさんたる父は、たまに帰ると少し気取って食べていた気がする。私はと言えば帰って来た時と様変わり、戻る時は淋しがってぐずったらしい。

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2007年3月18日 (日)

キブシ

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木五倍子。雌雄異株。写真のは雄花。山歩きを秋に始めた時、翌年の早春沢筋等から山に入る時先ず目に付いた。淡黄色だが樹々がやっと新芽を出し掛かったばかりなので印象的だった。

実は水虫に効くとか。又ヌルデに出来た虫こぶを五倍子(フシ)と言い、黒色染料として使われるが、キブシの実が代用された。

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2007年3月17日 (土)

(大連の思い出6)柳絮とアカシア

Tree 4月頃家の西側の川沿いの道路一杯に、綿が風に吹かれてふわふわ流れ飛ぶ様はちょっと壮観だった。川縁にある樹からの物であることは判っていたが、樹の記憶がまるで無い。

ヤナギ科ではあるが楊樹(ポプラ)と言い、春の花が終わると直ぐ綿毛付きの種子を飛ばし、それを柳絮(リュウジョ)と言い春の到来の象徴だと言うこと等後で知った。

しかし"グーグルアース"で、付近を拡大してみると、川は埋め立てられ家が建っているようだ。川は暗渠にしたのかもしれない。樹は残っているのだろうか。リュウジョアレルギーとかがあるらしいので無いかもしれない。

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http://www2.odn.ne.jp/~had26900/wild_plant/wp5_f/niseakashia.htm        よりニセアカシア↑

大連と言えばアカシアの街路樹が有名だが、私の記憶では家の東側にある転山の麓に自生したアカシアの林位だ。5~6月房状で白色の花が咲くと仄かな蜜の匂いが漂ってくる。テンプラにして貰い美味かった。

マメ科クララ属の槐(エンジュ)をアカシアと言い、大連ではこれは少なく、殆どはマメ科ハリエンジュ属の針槐(ハリエンジュ)だと言う。アカシアはネムノキ科アカシア属を指し、ハリエンジュはニセアカシアとも言う。"アカシアの大連"は正しくは"ハリエンジュの大連"と言う訳だ。ああややこしい。

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2007年3月16日 (金)

ローズマリー

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常緑低木のハーブ。肉料理やシチューに使う。いい匂いだが香りが強いので入れ過ぎないこと。写真は海沿いの"しおさい公園"で撮った大きなもの。我が家のは数年前に買ったが小さく未だ咲かない。

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2007年3月15日 (木)

京都の景観条例

Building_5 景観破壊に歯止めをかけようと京都市で、業界の反発を押し切り「眺望景観創生条例」が13日成立した。中心部の高さ41m→31m。景観を損なうデザイン、屋上広告、ネオンサイン等を規制する。

国立市で高層マンションの建設が計画され、市の景観条例が間に合わず、訴訟では結局市や住民側の敗訴となり、14階のマンションが2001年に建てられた。ただこの事で全国的に景観に関する関心が高まり、国会で景観法が制定され、各地で景観条例や高さ制限が導入された。

私は大連市で生まれたが、落ち着いた美しい町であることは世界に誇るものだった。それが最近の写真を見て幻滅した。超高層ビルが乱立してしまったのだ。このままでは香港市などと変わりなくなってしまうのではないだろうか。

翻ってわが町伊東市はと言うと、のんびりしてたのを見透かされたかのように15階建て、45mのマンションが駅近くに建ってしまった。慌てて去年高さ制限31mが制定された。業者は虎視眈々なのだから行政は早く手を打たないといけない。

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2007年3月14日 (水)

ベニバナハコネウツギ

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紅花箱根空木。種を出し終えた果実が、今芽吹きの頃に未だ残っている。近くの小沢に多いせいか自生した。2~3年で花が咲くようだ。

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2007年3月13日 (火)

「逝きし世の面影」を読んで

Book 日本が近代化につれ失つた、明治末年以前の文明に、幕末、明治の主に来日外人の見聞録をもとに考察した渡辺京二の逝きし世の面影600ページの労作を読了した。

読んでいて、今はすっかり失はれてしまった色々な良き事についての驚きがあったのだが、今でも充分日本人の中に生きているなと思った事柄がある。火事で焼け出されても悲嘆に暮れることなく、沈着で直ちに再建に掛かる様は外人には驚きだったらしい。

今でも地震、風水害の時などに外国では呆然として手が付かなかった時に示される助け合いと、復興の早さ。どさくさに略奪が多いのにそれも殆ど見られない。救援物資に強いものが我先の光景も見られない。

神戸の大震災の時は炊き出しが直ぐ行はれ、これを見た韓国の人達がその後真似をしたそうだ。日本人の立ち直りの速さ、また普段付き合いなど無くても、非常の時はお互い助け合うのも誇っていい。

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2007年3月12日 (月)

風待ち船

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手石島と風待ちの、はりま丸。風待ち船は白浜の方は多いらしいが、ここ伊東では2~3隻程度だ。

波荒し風待ち船の泊まりける晴れし海辺に鳶(とび)滑りゆく

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2007年3月11日 (日)

(大連の思い出5)岡本一平と太極拳

Octopas 祖父の書棚から、岡本一平の風刺漫画集を出して2~3名の友達と見ていた。当時"総理の名は知らなくても一平を知らぬものは無い"と言われていたそうだが、子供だから漫画に惹かれて見ていただけだったろう。

その中に確か記憶では、各国の首相の顔だけが輪になって繋がり、下に蛸の足が付いている漫画があった。見終わって皆で公園に遊びに出掛けた。すると遠くの丘で顔が胴の辺りにあってくねくねと動いている物があった。

誰かが"出たっ!"と叫ぶと我先に一目散と逃げ出し、入り口まで戻りやっと安心して子供の事とてそれはそれで終わりとなった。その朧な記憶を今考えて見た。公園には余裕のある満人達が、鳥籠を持って来て楽しんだり、太極拳をやったりしているのを良く見掛けた。

太極拳は地面近く迄身体をゆっくり曲げる動作があり、漫画を見た後、蛸人間となってビックリしたのではないかと。 岡本一平漫画漫文集が岩波文庫であり取り寄せたがそれらしいのは無かった。

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2007年3月10日 (土)

枯れた夏ミカン

20年位前、大島の民宿に泊まった時出されたナツミカンが、とても美味しかったので、種を鉢に植えておいた。大分芽が出たので人にも分け、3本を育てていた。

こちらに来て1本だけ地植えしたら、見る間に大きく太くなった。それが3年程前1ヶだけ大きな実を付けたので大喜びしていたら、突然見る見るうちに枯れてしまった。原因は不明だ。

枯れる前に最後の力を振り絞って、子孫を残すためのものだったのだろう。それを考えると感動した。その後残りの2本を地植えにして今すくすくと育っている↓

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なおその実だが、知らぬ間に遊びに来ていた孫娘が切り取り、私はあまり好きでなかったので妻が食べちゃったとか。美味かったそうだ。

枯れゆきて葉は落ち散れど子孫をば残して去りぬこの若き樹が

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2007年3月 9日 (金)

ヒメツルソバ

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姫蔓蕎麦。年がら年中咲いている。東京辺りでは小ポット200円で売られているが、伊豆では雑草化して厄介な位だ。沢山採って車で売りに行こうか等と話したが、飛ぶように売れる訳ないのでやはり損と言うことになった。雑草扱いだが手間掛からずに崖面等覆ってくれるのでなかなか良い。葉も洒落ている。

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2007年3月 8日 (木)

(大連の思い出4)橋の下

Car_3 大連の当時の人口は、日本人20万人、満人80万人とされ、市内の住宅の大部分は日本人が占め、4倍の満人街は少い所にひしめき合っていた。

一度用事で母とタクシーで、満人街を通つた事があった。道一杯に大人や子供、立っているのしゃがんでいるのと人であふれかえり、今で言うなら"歩行者天国"さながらだ。運転手は警笛を鳴らし続けていた。

今思うと家が狭いので昼間は外に出ていたのだろう。閑散とした邸宅区域や、午後学校から帰った子供達が道路一杯で遊ぶ、私達の所とは雰囲気がまるで違っていた。一言で言うならそれは貧民窟だ。

毎朝、転山の部落から老虎灘街道を経て、満人が続々と下りてくる。日本の会社等に勤めている人達だったのだろう。その人々の幾人かが公園から流れ出す(雨の時以外は干上がっている)川に架かった橋の袂より下へと入って行き、間もなく出てくるとそしらぬ顔で歩いてゆくのを、窓から見ていて不思議だった。

それが推測で判ったのは引き揚げてから随分経ってからだ。部落にはろくにトイレが無かったらしい。遊んでいてもうっかり橋の下には踏み込めないことを経験していたからだ。日本に帰って当たり前だが橋の下の安全を実感した。

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2007年3月 7日 (水)

イカリソウ

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碇草。図鑑には紅紫~白色とあるが、6年程前園芸店で求めた時は、紅紫色だったのに何時の間にか白になってしまった。

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2007年3月 6日 (火)

(大連の思い出3)満人部落

Cherry 我が家の南は弥生ヶ池公園だが、その奥には南山が聳え稜線は東へと向かい、転山というも少し高い山へと連なっている。数軒置いた先の伊佐さんという家が転山の先で農園をやっており、1軒置いた先の家の同級生の女の子と出掛けた。

東へと階段を登って行くと、市内から来た老虎灘街道に辿り着く。市内は完全舗装だがここからは埃の道だ。これより山道に入る。尾根道を登ると鳶?が飛ぶ丈の寂しい景色になる。

岩陰より見下ろすと先程の街道が南下する手前に、満人部落が望見された。土で出来た家とは言えない粗末なもので、今しもそこから葬式と思われる行列が出てくる所だった。それを見て2人はどちらからとも無く「行こう!」と走り出したのだった。

その先どう辿ったか定かでないが、農場で伊佐さんに迎えられプラム(当時もプラムといったかどうか)を袋にいっぱい入れて貰い帰ったら、下のほうがグショグショに潰れていたの丈覚えている。

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2007年3月 5日 (月)

大成丸と銀河丸

伊東沖に停泊する 航海訓練所の練習船。海洋大学生や海員学校生の訓練に使われる。

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大成丸。5886t、125m。(05.11.30撮影)

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銀河丸。6185t、116m。04年就航、最も新しい。(07.03.04撮影)

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2007年3月 4日 (日)

東海館

昨日伊東市の中心を流れる大川べりに建つ"東海館"に雛飾りが展示されているとの事で、伊東に住んで5年になるが一度行きたいと思っていたので妻と出掛けた。

1928(S8)年開業した木造2階建ての洒落た温泉宿だ。その後廃業、市が買い取り観光施設として甦らせた。昭和初期の職人達がいい木をふんだんに使い腕を振るったという建築美が随所に見られると言う。

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↑大川河畔に建つ東海館。角屋根は展望台、丸屋根より手前は今も営業中の同じく木造三階建ての旅館いな葉  

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2007年3月 3日 (土)

耳の日

Ear_pick 今日は雛節句。そして3/3で耳の日でもある。昨日テレビで、耳掃除をやるエステサロンをやっていた。耳掻きが色々数10種も有ったか。30分、3000円という。たかが耳