(大連の思い出8)ストーブ、窓霜など
私の家は市営住宅で建設時はペチカが付いていたが、あまり暖かくないとかでどこの家も石炭ストーブを使っていた。火力が強く暖かいが、紙→薪→粉炭→豆炭→石炭と点けるのが厄介で、絶えず石炭の補給をしたり、今の暖房に比べると世話は大変で、裏に大きな石炭倉庫があり、廊下にも小出し用の置き場があった。
時々煙突掃除をしないと、煤が詰まって燃えが悪くなるので、出入りの満人が頃合いを見計らって掃除にやって来る。部屋の中から煙突の中に棒を突っ込み袋で煤を受けるのだが、少しも散らかさず見事なものだ。後に会社で煙突付きの石油ストーブの掃除をやらされて煤だらけ、その辺散らかすわで散々の目に遭った。
窓は二重窓で、厳冬期の朝には窓霜が見られる。窓に白く葉の様な花の様な美しい模様がびっしりと付きそれを削って外を眺める事になる。(なお北からの風さんのホームページでご覧になれます)
雪は冬に入る頃降って、そのまま根雪になる。少しは融けるのだろうがその内夜になるので温度が下がり、又少し降るという状態で、積雪30cmで冬中あるのが普通だが、ある年日中異常に暖かくなり融け出したのが夜になって凍り、翌日は全市スケートリンク状態となり完全麻痺した。坂で橇遊びが出来子供達は喜んだが、大分怪我人が出た。
スケートは目の前の公園にある弥生ヶ池と川でつながる2~3km先の2倍大きい鏡ヶ池がある。スピード、ホッケー、フィギュアと盛んだったが、滑っているのは皆日本人で、スケート靴研ぎは満人だった。冬は厚い外套、二重手袋、防寒帽が必要で、引き揚げて冬でも素足の女性がいるのにはとても驚いた。
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